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法話

ほんとうの自分に出会う 1 自分の幸せと向き合う

今月から「ほんとうの自分に出会う」という少し難しいテーマですが、お話を致します。
このお話は平成28年3月24日、法泉会という法話会でお話ししたものです。
この会では130回目のお話でした。
7年ほど前のお話なので、少し書き換えながらのお話になります。

どんな人間になりたい

臨済宗妙心寺派の本山で、ある研修のお手伝いに行ったことがありました。
私が40才くらいの時であったと思います。
一緒に研修を手伝っていた和尚さんが、
研修の合間に、突然こんなことを尋ねてきたのです。

「どんな人間になりたい!」と。

「やさしさとおおらかさ」と即答しました。
答える速さに、その和尚さんは笑っていましたが、
「よく即答できたなあ」と、自分自身、驚いたことがありました。
これはいつも念じていたことなので、答えることができたのかもしれません。

今はコロナで休会をしていますが、このお話をした当時、
まだ伊那市のウエスト・ヴィレッジという喫茶店で、法話会をしていました。

平成27年12月の法話会が終わって、喫茶店を出ると、
参加していたひとりの女性が車のバッテリーがあがって
エンジンがかからないと困っていました。

その時、法話会のスタッフが5人ほどいました。
その中のひとりがブースターケーブルを持っていたので、
みんなで協力して、その女性の車のエンジンをかけてあげることができました。
その場で何度もありがとうと言われ、困っている人を助けてあげるというのは、
幸せであり、嬉しいことだと思ったのです。

法愛のよう

次の喫茶店での法話会が翌年の2月にあって、
その法話会にもこの女性が来られて、またお礼を言うのです。

そのお礼の言葉が「助けていただいたことが『法愛』のようだった」と。
「えー! それ、どういうこと」と思って、すでにこの女性に手渡していた、
2月号の「法愛」の表の詩を読み直してみたのです。

おそらく、この女性がこの詩を読んで思った気持ちを語った言葉かもしれません。
載せてみます。

おおらかさ

とらわれなく
意固地にならず
いつも
おおらかにほほえんでいる

悲しいときも 苦しいときも
その事ごとを静かに感じとって
おおらかに受けいれていく

春のせせらぎのように
あたたかな風が
吹きぬけていくように
人生の大河を
おおらかに生きていく

苦しみはともにし
幸せは与え合い
困っている人には手をさしのべ
それでいて
自慢もしない

おおらかに
今日も
いつものようにほほえんでいる

こんな詩です。

私が60才ごろ作った詩です。
40才のころ、本山での出来事で、「どんな人間になりたい」と問われ
「やさしさとおおらかさ」と答えたときの思いが、少し深まった詩になっています。

この中に、「困っている人には手をさしのべ それでいて 自慢もしない」とあります。
「ありがとう」と言った女性が、この詩を読み、
「法愛」のようだと言ったのかもしれないと思ったのです。

困っている人に手をさしのべ、それでいて自慢もしない、
そんな生き方ができれば、そこに幸せを思う自分を感じるはずです。

喜んでもらえる、ありがたさ

伊那市のかんてんぱぱホールで、
「第2回 籐花会(とうかかい)の作品展示発表会(平成28年3月11日~17日)があり、
知人の誘いで行ってきました。

パンフレットには
「温かく柔らかく しなやかで繊細に
 一本の籐が紡ぐ無限の形 人の心」
とあります。

籐で編んだ籠(かご)や人形などもみると、竹によく似ています。
少し調べてみると、竹は節(ふし)と節の間に空洞があります。
籐に節はあるのですが、その中身は繊維がぎっしりつまっていて、
呼吸をしているというのです。
梅雨の時は、湿気を吸い取り、冬の乾燥の時には、
湿気をはきだすというのです。ヤシ科のつる性植物です。

展示場にはたくさんの作品が並べられていて、
籐から作られる作品を見て、その細かい仕事と、
出来上がった時の喜びが見えて、いい時間をいただきました。
きっと苦労して作った作品を見ていただくことが、
作った人の幸せではないかと思います。

私も「法愛」という作品を紡(つむ)いでいますが、
「この辺で法愛を読むのをやめます」というハガキをいただくと、
花がしおれるような思いをします。
でも、こんなハガキもいただきます。

私は法愛の愛読者のひとりです。71才です。
毎月、ありがたいの一言です。いつも心洗われる思いでいっぱいです。

子育ての時、巡り逢えていれば、子どもの成長、物の見方、
生き方も好転していたのではないかと反省させられます。
でも、その時は無我夢中で過ごしてきました。

現在、心にもゆとりができ、
今からでも、気づいた時は遅くないとがんばっていきたいです。

こんなハガキです。

よく自分を省みて、どう生きることが大切なのかを感じとっています。
この「法愛」も、少しぐらいは役立っているのだと思い、幸せを感じるのです。

心で感じ取る

幸せを感じるのはどこでしょうか。

脳という人もいるし、心だという人もいるかもしれません。
心は脳の一部という脳科学者もおられますが、
そうすれば幸せを感じ取っているのは脳になるのでしょう。

そのように判断している人は、脳がほんとうの自分になるかもしれません。
「いや、心だ」という人は、心がほんとうの自分になるといえます。

上手に説明できませんが、たとえばお茶を飲む時のことを考えてみます。
お茶は入れたときの温度や、新茶や抹茶、番茶など、その味わいは違ってきます。
その違いは、脳で判断するのでしょう。

でも、です。
お茶の味や、飲む温度などで、好き嫌いが発生します。
同じ味のお茶を飲んで、その味が脳に伝達されます。
お茶の味は同じですが、自分の嫌いな人が入れたお茶と、
大好きな人が入れたお茶の味はどうでしょう。

京都の有名なお寺で、緋毛氈の上に座って、きれいな庭を見ながら飲むお茶と、
サービスエリアの無料のお茶をパイプ椅子に座って飲むお茶の味はどうでしょうか。
素敵なふたのついた器で飲むお茶と、紙コップで飲むお茶はどうでしょう。

もし味が同じであっても、
それぞれお茶の味の感じ方は、まったく違うと思います。

おそらく、その違いを心で感じとっているのではと思うのですが・・・。
そう考えると、どうも心のほうに、ほんとうの自分があるように思えます。

大きくて、やわらかい手

このお話をした3月は、東日本大震災5年目のことでした。
ある新聞に、追悼式に遺族らが1090人集まったという記事が載っていました。

3人が復興の決意を語った中で、
宮城県多賀城市のある女性(23)が語ったことを、文章にまとめたものが掲載されていました。
さらにまとめてみます。

「なぜあの時、ばあちゃんの手を放してしまったんだろう」

そんな悔やみで自分を責め、5年、自問の日々だった。
高校の卒業式を終えたばかりの平成23年3月11日、
ばあちゃんの手を引き、高台に逃げようとしたとき、
とっさにつないでいた手を放してしまった。ただ恐怖だった。
直後、ばあちゃんは押し流され亡くなり、私は奇跡的に助かった。

「わたしのせいだ」。罪悪感が押し寄せた。とことん自分を責めた。
「あの時にもどれたら、流されても手を離さないのに」
何度も同じことを考えた。

「きっと、ばあちゃんが助けてくれたんだね」
親戚の言葉に胸が軽くなった。

あの日、握っていた祖母の大きな柔らかい手の感覚は、今も左手に残っている。
ただ、5年の節目を「気持ちのリセットにしたい」と思う。

私の目標は「ばあちゃんみたいに強く生きること。笑いの絶えない家族を作ること」。 そして、涙まじりで呼びかけた。

「天国から見てくれているかな?
 これからも見守っていてね。姿はなくても、ずっと一緒だよ」と。

(産経新聞 平成28年3月12日付)

こんな追悼の言葉です。

ばあちゃんの柔らかい大きな手の感覚をずっと忘れないでいる。
この情的な思いは、胸の内からわき起こってくるものです。
考えて思い起こすものではありません。

このばあちゃんを思う、彼女の気持ちは、
真摯に自分と向き合った時に出てくる思いに違いありません。

ここで、彼女が
「ばあちゃんみたいに強く生きること。笑いの絶えない家族を作ること」
という決意の中にも、尊い彼女自身の姿が現れています。

ほんとうの自分に出会う 2 相手の幸せを感じとる

もっと素直に

相手の幸せを感じているときも、ほんとうの自分に出会っているのです。
あるいは相手の悲しみや苦しみなども感じとり、
その悲しみや苦しみをどうにかして和らげてあげたい。
そう思っている自分も、尊い自分です。

ここで、投書を紹介し、学んでみます。
「祖母の愛」という題で、59才の女性の文です。

「祖母の愛」

子どもの頃、母に連れられて、
電車とバスを乗り継いで祖母の家に遊びに行くと、
帰りに必ずお金を渡してくれた。

祖母は早くに伴侶を亡くし、農業をしながら女手一つで6人の子を育てた。

暮らしぶりは貧しく、
子どもの目から見ても、家にお金がないことは明らかであった。
それでも、帰ろうとすると、必ず100円札を1枚、多い時は2枚
四つ折りにして手のひらに握らせてくれた。

私は「ありがとう」と受け取りながらも、だんだん気が重くなっていった。
あるとき、いつものようにお金を渡してくれる祖母に、
「いらん。おばあちゃん、自分で持っちょきや」と突き返した。

祖母は苦笑いしながら、
「ちょっとだけやき、お菓子買い。また来てよ」と言って、
手を引っ込める私のポケットにお金を差し込んでくれた。

「お金ないのに・・・・」
私は泣きそうになった。

あれから50年が過ぎた。
祖母が亡くなってからも十数年がたつが、
今、私自身が孫を持つ身となって、祖母の気持ちが少し分かるようになった。

私はお年玉やお小遣いに結構大盤振る舞いしている方だと思うが、
孫への無償の愛は、経済の壁を超えるというものだ。

祖母は心から私を愛してくれた。
だから、なくなれば困るほどのなけなしのお金を、
ためらいもせず、喜ぶ顔と引き換えに渡してくれたのだと思う。

私は、もっと素直に、祖母の愛に応えるべきだった。

(毎日新聞 平成28年3月13日付)

こんな投書です。

この投書を書いた女性が小さいころの時、
祖母の家が貧しいことを知っていて、
そんな祖母がお小遣いをくれるのを最初は嬉しいと思っていたのが、
祖母の生活を見て「いらん。お金がないのに・・・」と、泣きそうになってしまった。

自分が祖母になって、孫たちにお年玉やお小遣いをあげる。
そのとき、昔、お小遣いをくれた祖母の気持ちが初めてわかったのです。

祖母が私を心から愛してくれていること。
私の喜びと引き換えに、なくなれば困るほどのなけなしのお金を
ためらいもせず、くださった。それが祖母の幸せであったこと。

祖母の幸せを感じとることができたのは、
自分が同じ立場に立ったからでしょう。

そして回顧しています。
「私は、もっと素直に祖母の愛に応えるべきであった」と。

このように回顧し、反省しているこの投書の女性は、
ほんとうの自分と向き合って、相手の幸せを感じとり、
その幸せを大切にしようとしています。

(つづく)