法話
さまざまな美しい風景 2 人生の意味を知る
先月は「美しい風景の意味を知る」ということで、
短歌から学んだり、神仏が与えてくれた風景から学ぶことや、
年輪、花から教えてもらうことなど、そんなお話を致しました。続きです。
自然の風景から教えてもらえること
「自然のすべてが仏の現れで、
自然の風景のなかに、どう生きればよいのかという教えが散りばめられている」
と、先月お話し致しました。
具体的にどのように自然のなかに教えを見つけていけばいいのか、
というところからお話を進めていきます。
たとえば、禅語の中に「行雲流水(こううんりゅうすい)」という言葉があります。
雲が行くように、水が流れるように、という意味です。
雲は風を素直に受けてとらわれることなく大空を行き、
水は自然に流れて、石があっても、その石をさらさらとよけて通り過ぎていきます。
そのように私たちも苦しみがあっても、その苦しみにとらわれないで、
人生という大空を、この世の大河を流れていきましょう、という意味です。
あるいは、こんな禅語もあります。
水有り みな月を含む
山として 雲を帯びざるは無し
「水有りみな月を含む」は、清らかな水、濁った水、水たまり、
小さな茶わんの中の水、大きな田んぼの水、小さな田んぼの水、大海の水、
そんなさまざまな水の中に月は映るということです。
この禅語の意味は、女性でも男性でも、
お金持ちの人でも、貧乏な人でも、
成功している人でも、失敗してしまった人でも、
月がどんな水にも映るように、仏と同じ心をみな持っているということです。
苦しみの中にある人も、喜び満ちている人の心の中にも、
仏心という仏の心が宿されているという意味です。
「山として雲を帯びざるは無し」というのは、
富士山には雲がかかるけれど、駒ケ岳には雲がかからない、というのではなく、
どんな山にも平等に雲がかかるということです。
ここから、私たちはみな生きる力を持っている、
勇気をもって困難を乗り越える力を持っている、
相手を思いやる力を持っている、ということです。
このようなことを自然の中から学び取っていくのです。
自然の風景の中に、どう生きればよいかの教えが散りばめられているということです。
どう生きればよいかを教えてくれる風景、
そんな風景をたくさん見ることが、自らの人生を豊かにしていきます。
さらには、人生の意味を理解する大切なきっかけにもなっていきます。
人の幸せのためにという夢
人生の意味を知るために、3点ほど考えていきます。
まず、自分がどんな人間になりたいのか、
どんな仕事をしたいのかという「夢」から知ることができます。
地方新聞ですが、長野日報という新聞で、
3月に卒業を迎える小学校6年生の生徒たちに、
「ぼくの夢わたしの夢」を語ってもらう記事が毎年掲載されています。
この年(平成29年)は、私の母校で、
小学校6年生のクラス30人の生徒が、自分が大人になったときの夢を語っていました。
集合写真と名前も載せてあって、現在は19才くらいになっているでしょうか。
この中の5人ほどを載せてみます。
薬剤師になって、新しい薬を作って、病気の人を助けたい(女子)
料理人になって店に来た人が笑顔になる料理を作りたい(女子・男子)
助産師になって、お母さんのサポートをしたい(女子)
保育士になって、園児達が楽しく保育園にこられるようにする(女子)
建築士になってみんなに喜んでもらいたいです(男子)
(長野日報 平成29年1月21日付)
ここにあげた5人の子ども達は、
大人になって、なりたい職業はそれぞれ違うのですが、
この中で共通するのは、「役に立つ仕事をしたい」ということです。
小学校6年の子ども達が、なぜこんな尊い思いを持てるのでしょう。
30人の生徒の内、13人の子が、人の幸せのために働きたいと書いているのです。
それは家庭環境もあるだろうし、先生の影響もあるでしょう。
でも、何か思いだすものが心の奥深くにあるような気がするのです。
草笛の音から知ること
以前私が書いた『精いっぱい生きよう そして あの世も信じよう』という本の中に、
「見えない世界からの声」という章で「草笛のひびき」という詩を書きました。
紙面の関係で、すべてを載せることはできませんが、詩の1部を載せてみます。
草笛の柔らかい音のひびきのように
天上界にいたときの
ほんとうの私の心が
思い出されます
感謝の思いが満ちると
草笛の音が
どこからともなく聞こえてきて
この人と共に約束して生まれてきたことを
思い出します
やさしさと
ほほえみの光のなかで
共にがんばろうと
手を取り合って約束したことを
思い出します
こんな詩です。
「この人と共に約束して」は、生まれてくる前の天上の世界で、
子が母を選び、母もこの子を選んで、天から降ろし、
この世で共に生きていくことを約束してきた、ということです。
そう考えると、先の5人の子ども達が、役立つ仕事をしたいというのは、
生まれる前からの天上界で決めてきた生き方である、と推測できます。
お釈迦様も天の世界で、この世での計画を立てて生まれてきたと仏典では記されています。
草笛の音は、よく耳を澄ませないと聞こえないくらいの小さな音ですから、
心を澄ませないと聞こえないのです。
でも、純粋な子どものときは、素直に心にひびいてきて、
何を私がこの世でしなくてはならないかを知るのです。
ですから、この世で人の幸せのために生きること、役立つ仕事をすることが、
人生の一つの意味になりましょう。
人生の問題に出合ったとき
2番目に、人生の問題に出合ったときにも、人生の意味を知ることができます。
人生の問題は人それぞれで違いますが、人生の問題をかかえた人から学ぶことも、
大切なことです。
次の投書から学んでみます。
74才の女性の方で「難病の娘生きていてほしかった」という題です。
平成12年の投書ですから、24年前のものです。
生きていても、この女性は98才になっています。
この方が亡くなれば、きっと天の世界で娘さんと再会し、人生の意味を知ることでしょう。
「難病の娘 生きていて欲しかった」
もしこの世に地獄があったら、あれは地獄ではなかったかと思う。
2600日間、難病のため、高熱と痛みに泣く少女。
私の娘は25年前、20歳で亡くなった。
私の両手両足を毎日切り刻まれてもいい、
両耳をそがれてもいい、目を失ってもいい、
娘を痛みから救ってくれるなら、と祈った。
土地を売り、家を手放してもいいと、真冬に風呂場で水をかぶって祈った。
夫も同じ気持ちだった。
「難病の子を抱え、なぜ勤めをやめないのか」と非難もされた。
しかし当時の制度は貧しく、手当などもない。
病院には、往復四時間かかった。
山のような洗濯物の荷物を引きずりながら夜道で声をあげて泣いた。
でもこんな苦労は、苦ではない。私はただ、娘に生きてほしかったのだ。
最近の親を巡る信じられないようなニュースを見ると、涙がこぼれ落ちる。
わが子は親にとって分身なのではないだろうか。
(読売新聞 平成12年8月13日付)
こんな投書です。
娘さんが20歳で亡くなったとき、この女性は49歳でした。
難病になった娘さんも、それを介護するお母さんである女性も、
大きな人生の問題を抱えながら、精一杯生き抜いています。
あの世に帰られたとき、
なぜこんな体験をしなくてはいけないかを、知ることになるでしょう。
それは愛の学びかもしれませんし、親子の絆の大切さかもしれません。
どちらにしろ、よく人生の問題から逃げずに、闘いぬいたと思います。
いけないのが、この境遇を、
神仏の責任にしたり、相手の責任にしたり、社会の責任にしてしまうことです。
そうではなく、与えられた問題を自分自身の事として受け止め、
解決していく姿勢が尊いのです。
人生への疑問
3番目に人生への疑問が出たとき、その意味を知るきっかけになると思うのです。
中学生でも死が怖く、
天国がもしあれば、どう生きていけばいいかを考えられる
という問いを持つ女の子もいました。
あるいは自分に何の価値があるのかと、
自らに問うてもわからないという30代の女性もいます。
社会人になってもやりたいことがなく、みんな何のために生きているのでしょうか、
と迷っているのです。
また、身近な人のことがうらやましくて仕方ないと思っている、
50代の女性の人もいます。
また、どうして私は生まれて来たのだろう。
こんな生き方でよいのだろうか。どう生きることが大事なのか。
そんな人生への疑問が出たとき、その疑問を解決するために、心の学びをしていくと、
そこに人生の意味を知るようになっていきます。
そのために、本を読んだり、お話を聞いたりして、学びを深めていくと、
心のコントロールができるようになります。
「どう生きればいいのか。感謝が大事なんだ。そのために、常に感謝の思いを忘れないでいよう」
そう自分の心に問いかけていくと、次第にそんな生き方ができるようになります。
この心のコントロールも、この世に生まれてきた人生の意味といえます。
このお話をした平成29年の「法愛」2月号の表紙の詩は、「思いを正す」でした。
「思いを正す」
心で思うことは自由だ
善でも悪でも思える
そして
心で思っていることは
誰にも見えない
見えないから安心して
不正なことを思っていると
その思いが現実化し
顔や言葉や行動に
現れてきてしまう
その前に
相手に自分の心の思いが
見えたとしても
恥ずかしくないように
思いを正してみる
不満の思いを打消し
感謝の思いで心を染める
きっと やすらぎの花がそこに咲く
こんな詩です。
思いを正すことが、教えを聴いてできるようになるのです。
思いは見えませんから、なおざりにしてしまいがちです。
どんなことを思ったとしても、
その思いを誰が見ても恥ずかしくないように整えていく。
これも生まれてきた人生の意味といえます。
最近30代の女性の方からお手紙をいただきました。
この人はとても苦しんでいて、その時に、
平成28年の12月号と平成29年の1月号を読んだのです。
その法愛を読んで、
「自分のつらさが、相手のつらさを知る心の養いになることを知りました」
とお手紙の中に書かれていました。
自分の悲しみとか苦しみとかつらさが、
相手の悲しみとか苦しみ、つらさを知る心の養いになっている。
だからこのつらさを乗り越えていこう。
そう自分をコントロールしたのです。
どう生きればよいかの問いを持ち、正しく自分を整えていく。
そんな生き方を自らが持ち、日々生きていくと、
やがて後悔の少ない人生を生きることができます。
これも人生の大切な意味と、とらえていいと思います。
(つづく)
