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法話

考える力が幸不幸を決める 2 幸せ満ちる考え方

先月は「考える力」という章で、
考えには力があり、どんな考え方を持っていれば幸せになり、
不幸になるかというお話を少しさせていただきました。
今月も考えることについて、さらにお話を進めていきます。

汚れた心と清らかな心

このお話で、先月の終わりのほうに
「物事は心にもとづき、心でどう思い、どう考えるかによって、創り出される」
と書きました。

これはお釈迦様が言われた言葉です。
そのところを引用してみます。

ものごとは心にもとづき、心を主(あるじ)とし、
心によってつくり出される。

もし汚れた心で話したり行ったりするならば、
苦しみはその人につき従う。
車をひく(牛)の足跡に車輪がついていくように。

ものごとは心にもとづいて、心を主とし心によってつくり出される。
もし清らかな心で話したり行ったりするならば、
福楽はその人につきしたがう。
影がそのからだから離れないように。(ふり仮名は筆者)

(『ブッダ真理のことば・感興のことば』中村元訳 岩波文庫)

この言葉を幸不幸で考えると、
汚れた心で話したり行ったりすれば不幸になり、
清らかな心で話したり行(おこな)ったりすれば幸せになれる、となります。

清らかな心で話したり行ったりすれば、
人生は幸せに満ちているという日暮らしができるわけです。

虐待という汚れた行為

今年(令和6年)、ある障害者支援施設で職員による虐待があいつぎ、
検証を進めていた第3者委員会は10月10日、中間報告を発表したと、
新聞に報道されていました。

それによると、約10年前から
虐待の疑いのある行為が38件確認されたといいます。

虐待を受けた利用者は11人、虐待を行なった職員は9人で、
虐待が常態化していたと指摘していました。

たとえば、「ハンマーチャンス」と呼んで
利用者の頭やくるぶしを木づちでたたいたり、
「盃(さかずき)チャレンジ」と称して、利用者に大量の水分を取らせる。

ダイエットや運動と称して、
廊下を走らせたり、スクワットをさせたり。 菓子をボウルに山盛りにして
「これから餌付(えづ)けだからよ」と言ったり、
「死ねよ」「脳なし」と暴言をはいたりして、
他の職員はそれを笑いながら見ていたようです。

この施設では
「さまざまな障害のある人たちの支援を通して、福祉社会を作る」
と目標をかかげていたのですが、
これは職員の心の汚れからくる行為であって、
利用者は苦しみのみで、幸せにはなれません。

こんな報道を聞くと、悲しくなります。

ここには、「させていただく」という謙虚さとか、慈しみの思いがありません。
心が汚れているゆえに、さげすむ言葉や、行為が出てしまうのです。
早く、清らかな心を取り戻してほしいと願うばかりです。

ひとり暮らし

最近読んだ本の中に、
松原淳子さんが書かれた『老後ひとりぼっち』(SB新書)があります。
「女性ひとりの生き方」をテーマに執筆、講演活動を行っている女性です。
「はじめに」は、こんなことが書いてありました。

2010年、男性の生涯未婚率が20%を超え、
ひとり暮らし人口は増加傾向にある。

2035年には、人口の3人に1人が65歳以上の高齢者となり、
東京・大阪の都市部ではそのうち4割以上がひとり暮し
という予測が出ている。(中略)

脅かすわけではないが、結婚や子供がいることが
「老後の保険にならない」時代がついにきたのだ。
「女房より先に死ぬからいい」と悠長に構えている男性は、
特に危機感を持ってほしい。

結婚や子供がいることが「老後の保険にならない」というのは、
今の世を上手に分析していると思います。

今では、子どもが親の面倒をみたくないために、
親の介護から納骨まで代行するという、そんな会社も出来ています。

松原さんはそんな時代、夫婦関係を見直そうと
「ありがとう」を口癖にすることが大切と述べています。
ありがとうの思いが、互いを強く結びつけ、
幸せの道を歩んでいくことができるわけです。

ありがとうの思い

松原さんがある市民セミナーでの講演で、
60代の主婦から質問を受けたそうです。
その様子をまとめて載せてみます。

彼女は、定年退職した夫と毎日顔を合わせているのがつらいという。
結婚35年、子どもが結婚して家を出ていき、夫婦暮しになって15年。
夫と2人で暮らしてきて楽しいと思ったことはひとつもない。

「2人で黙って食べる毎日の食事が一番つらいんです。
 これから先もずっと続くのかと思うと地獄だわ・・・」という。

わたしは言った。
「失礼な言い方だけれども、あなたは夫に感謝したことはある。
 ありがとうと言ったことがある?
 悪いけど、あなたみたいな美人でもない。性格が特にいいわけでもない。
 ただの女と、彼は結婚してくれたのよ。
 今まで生活に困らなかったのは彼のおかげでしょ。

 今日帰ったら、『ありがとう』と言ってあげて、
 『わたしみたいな人と結婚してくれてありがとう』って」

次週のセミナーで、質問した彼女と顔を合わせた。
彼女はあれから家に帰って、夫に向かい正座して
「わたしみたいな人と結婚してくれてありがとう」と言ったそうだ。
夫はそれを聞いて「こちらこそ、ありがとう」と言って、
男泣きをしたという。

15年、会話らしい会話もなかったこの夫婦に、光がさし込み、
今では2人で手をつないで土手を歩くようになったという。

夫婦の修復は簡単なこと。感謝の言葉があれば、仲良くなれるのです。

幸せになる大切な考え方は、
常に感謝し、「ありがとう」を口癖にすることです。

2つの考え方

「人生は幸せで満ちている」と考えるか、
「人生は不幸が多い」と考えるかで、
その人の幸福感は違ってきます。

幸せや不幸は、半々という考え方もありますが、
できるならば、「幸せに満ちている」と考えたほうが、
幸せが引き寄せられてくるのです。

人生は不幸が多いと考える人は、
マイナス面を見る事が多いかもしれません。
日頃使って出る言葉も、不満や不平が多いのです。

また、幸せの基準が高いとも考えられます。
これだけのお金がないと幸せではないとか、
病気になったら幸せが逃げてしまうとか、結婚したけれど、
子どもが授からないので幸せでないとか、さまざまです。

次の詩の幸せの考え方には、教えられるものがあります。
「わかってないひと」という題で、38歳の女性の方の詩です。

わかってないひと

君を幸せにしたい
大きなお世話よ
バカ高いレストラン
偉そうな名のワイン
親の年より多い薔薇
給料三カ月分の指輪
どれもセンスがなくて
何もわかってなくて
笑っちゃう
幸せなんて
あなたがいてくれたら
勝手になるわ

(産経新聞 令和6年10月31日付)

先月、「少しの幸せで満足」というお話をしましたが、
こんな幸せのとらえ方もいいですね。

うき世の闇

『一休道歌』(禅文化研究所)の中に、こんな歌が出ています。

くもりなきひとつの月をもちながら
         うき世のやみにまよいぬるかな

ここに出て来る月は仏の心、仏心(ぶっしん)にたとえています。
「清らかな仏の心を持っていても、
 どう生きれば幸せになれるのかわからない。
 そんな闇のようなこの世で、みな迷ってしまうものだ」
という意味です。

私のお寺の檀家さんではなかったのですが、
「亡くなられた母が、どうしても私にお葬式をあげいただきたい」
と言って、その方の娘さんとお孫さんと思われる2人の女性が
お寺に来られたことがありました。

聞けば、亡くなった方は、そろばんを教えていて、
私もその人に習ったことがあったのです。

旦那さんはすでに亡くなって、違うお寺さんで葬儀をしたのだけれど、
そのお寺とは縁を切ったというので、葬儀をさせていただくことにしました。

その女性の葬儀の時にお話した法話を載せてみましょう。

こんな詩があります。74歳の男性が書かれた詩です。

ここに池上静子(仮名)さんは、
数えで93年の生涯を閉じられました。

常に事を荒立てない穏やかさを持ち、
人をやさしく包む、そんな心を大切にしてきました。

珠算塾を昭和26年ごろ開き、
当時では先駆けて、塾という学びの場を設け、
多くの子ども達にそろばんを教えてきました。

一生けん命に、そろばんの珠をはじく子ども達の姿を見て、
晴れた夜空に輝くたくさんのきれいな星たちを見るように、
子どもの輝く多くの瞳をやさしく見つめ、
世に優秀な生徒を送り出してきました。

旦那さんを81歳の時に亡くされ、
それ以来旦那さんの霊を慰めながら、
自分という花を咲かせてきました。

93年の生涯に咲かせた静子さんの花は、
いつもやさしく穏やかな香りを放っていました。

お釈迦様が
「善き人々は遠くにいても輝く、雪を頂く高山のように」
と教えています。

善きことをして、その善きことを積み上げてきた静子さんは、
身体からみ魂が離れ、遠く浄土の世界に旅立っていっても、
私たちにとっては、雪を頂く高山のように、
いつも輝いて見えることでしょう。

そのやさしいほほえみの花は、私たちの心を通して、
消えることなく、鮮やかに思い起こされることでしょう。
そんな輝きを書かれた、静子さんへのお別れの言葉です。

お母さん、
あなたは大正、昭和、平成と時代の波に乗りつつ、
人として母としてたくましく、時には明るく
やさしく生きぬいてきましたね。

戦後の動乱の中を3人の子どもをその両手に抱きながら、
「そろばん教室」で経済を支え、28歳から83歳までの55年間、
パチパチ人生と言ってもいいでしょうか、
そろばん塾を通じ、多くの生徒を教えてきました。

この職業についたときに卒業生から
「先生、そろばんが役立ちました」
と言われた時が一番うれしく、生きがいを感じたと言っていました。

子ども3人、孫8人、そしてひ孫7人に囲まれ
充実した人生だったと思います。

今までお世話になりました。ほんとうにありがとうございました。

母に祖母に、していただいたことは、
思い出せないほど数限りがないでしょう。

今、手を合わせる中に、そんな思いと感謝を重ね、
無事旅立を祈り、お別れの礼拝を致します。

こんなお話でした。

葬儀が終わって、家族の人に
「49日の供養は、また相談に来てください」と言ったのですが、
それ以来何の連絡もありません。葬儀のみで、
あとの仏事は何もしないようです。

考え考えて作った私のお話を聞いても、
生前、母におばあちゃんに、たくさんお世話になったのに、
恩返しはどうしたのだろうと、思わずにはいられない出来事でした。

「うき世の闇にまよいぬるかな」で、
信心を持って恩返しするのが、幸せになる方法であると思うのですが、
葬儀をしただけでもよかった、と思うことにしました。

「幸せは気づかないのよ、不幸より」
という川柳をどこかで見たことがありました。なるほどと思います。
幸せに囲まれているとか幸せは足元にあると、よく言われることです。

それを聞けば「そうだなあ」と思うのですが、
すぐ忘れてしまって、当たりまえの世界に安住するのが
わたしたちの性かもしれません。

お腹がすくと食事をします。
そしてお腹を満たし栄養をとって、健康に生きることができます。

同じように、心にも食事をとり、心に栄養を与えるのです。
迷いの多いこの世であっても、心清らかさを保ち、
感謝の思いを大事にしながら、人生は幸せに満ちているという考えを、
心の栄養にしてみてください。

きっと幸せになれます。

(つづく)