ホーム > 法愛1月号 > 法話

法話

考える力が幸不幸を決める 3 面倒なことを宝とする考え

先月は「幸せ満ちる考え方」という章で、
人生は幸せで満ちているという考え方を持って生きていったほうが、
その考え方が幸せを引き寄せ、幸せな日々を送れるという、そんな話でした。
特に「ありがとう」が、幸せになる大切な言葉だということもお話し致しました。
続きです。

面倒でもする

今回の面倒というのは「物事をするのがわずらわしい」という意味です。

寒い日は、朝起きるのもわずらわしく、
できればいつまでも寝ていたいという思いが、心を駆けめぐります。
その思いを断ち切って起き、今日の一日が始まります。

できれば、
「今日も命があった。ありがたい。
 この大切な一日の時間を大切に使おう」
と思えば、一日の始まりが、幸せの方向に動き出します。

面倒については、以前この「法愛」でも扱った
ノートルダム清心女子大学の理事長をしていた、渡辺和子さんの
『面倒だから、しよう』(幻冬舎)という本から引用して、
お話ししたことがありました。

復習という意味で、少し面倒についての渡辺さんの考えを、
もう一度、引用してみます。

人は皆、苦労を厭い、面倒なことを避け、
自分中心に生きようとする傾向があり、
私もその例外ではありません。

しかし、人間らしく、よりよく生きるということは、
このような自然的傾向と闘うことなのです。(中略)

安易に流れやすい自分と絶えず闘い、面倒でもする人、
倒れてもまた起き上がって生きてゆく人を育てたいのです。

(『面倒だから、しよう』 渡辺和子 幻冬舎)

こんな考えを本に書いています。

面倒なことでもするというのは、人間らしく、よりよく生きるため、
安易に流れやすい自分と闘い強く生きていくためと、書いています。
大切な考え方だと思います。

人間らしさ

渡辺和子さんの本から引用しましたが、
その引用の前に、こんなエピソードが載っていたのです。

それは大学で、学期末テストの監督をしていた時のことです。
90分テストで、60分たったら、書き終えた人は
退席してもよいことになっていました。

ひとりの学生が、書き終えて席を立ち上がったのですが、
何か思い直して座り、やおらティッシュを取り出すと、
自分の机の上の消しゴムのカスを集めてティッシュに収め、
再び立ち上がって目礼してから教室を出ていったのです。

私の体験では、
ある女性が消しゴムのカスを机から手で掃って、
床に捨ててしまったことがありました。
このとき、この本の学生の行いを知っていたので、
心の中で、とても悲しくなりました。

面倒でも、少しの努力で、
教室をきれいに使うことが人間らしい姿だと思います。
知人のある女性が、消しゴムのカスは、
あらかじめ使えなくなった封筒を切って袋にし、
その中に消しゴムのカスを入れるといい、
と教えてもらったことがありました。いい案だと思います。

バスのなかで出たゴミは、
なるべく家に持ち帰って処分することにしていますが、
サービスエリヤのゴミ捨て場に捨ててしまうほうが
面倒がなくて、楽です。

サービスエリヤのゴミを片づけている女性の姿を見て、
目礼しながら、心の中で「ごくろうさま」と言わずにいられない、
そんな心の姿が美しいのではないかと思います。

心を汚す面倒な思い

こんな本もありました。
『神様は「面倒なとき」ほどそばにいる。』(KADOKAWA)
という題の本です。
はずき虹映(こうえい)という人が書いたものです。

この中で「面倒くさい」と感じるのは、
少なくても自分ができること、やれると思っていることで、
自分の能力を超えていることには
「面倒くさい」とは思えないようになっていると、言っています。
なるほどと思います。

確かに、自分にとって面倒なことは、自分ができることです。
ただ気がつかず、しないということもあります。

風邪をひいて熱を出し起きていられない妻に、
夫が「俺の飯をどうするんだ」と言った。
それを聞いた妻が、悲しくて涙が出そうになった。
そんな投書をどこかで読んだことがありました。

相手が病気で苦しんでいるとき、
互いが助け合って、相手を休ませ、
夫である自分が料理の準備をする。
できなくても、コンビニで何か買ってきて妻に食べさせてあげる。
これくらいのことを面倒くさいことだと言ってやらない。
そんな人間にならないように、自らを戒めていくことも大事になります。

この意味で、面倒だと思うその気持ちは、
自分の心を汚すものだと知っていたほうがよいかもしれません。

小さなことでも面倒がらずにさせていただく。
そこに何か尊いものに気づいていくことがあります。

ゴミを捨てるときの心構え

はずきさんが書かれた本の中に、
「ゴミ捨ては、使ってきたものをねぎらうこと」という章があります。

ゴミ出しも面倒なことです。
読み終えた新聞や雑誌、空になった空き瓶、ビールのカンや、
穴のあいたくつしたや服、生ごみにお菓子の包み紙。
外に出れば、枯れ葉や枯れ木、取り終わった草たち、さまざまです。

これらの使えなくなったゴミ類は、面倒でも捨てなくてはなりません。
そのとき、どんな気持ちで捨てるかが問われているわけです。

使い終わったティッシュペーパーに、
「あなたのおかげで、鼻がすっきりしました。ありがとう」
と言って捨てたことがあるでしょうか。

食べ残した食事に
「残して申し訳ない」と頭を下げたことがあったでしょうか。
長い間、お世話になって色がはがれた箸を捨てるとき、
どんな気持ちで捨てたのでしょう。

お寺では、本堂に花を飾りますが、
できるならば、一年中、生の花を飾り、
仏様やご先祖様が降りてきやすいようにと、
面倒でも、この面倒な思いに打ち勝ち、きれいにしています。

でも、花はやがて枯れます。
枯れた花を捨てる時が、一番心が痛む時です。
今まで本堂をきれいにしてくれた花なので、
その花に恩を感じ、捨てがたいのです。
でも、捨てなくてはならない。
ですから、「今までありがとう」
と心の中で頭を下げながら捨てるようにしています。

はずきさんは、「その時、神がそこにおられる」
と書いていましたが、そんな感じもします。

護国寺の本堂は平成元年に建てられましたが、
その前の本堂を壊す時は、とてもつらく悲しい思いがしました。
何百年も私たちを支えてくださった、本堂という建物に、
感謝せずにはいられませんでした。
ですから、心を込めて感謝の法要をお勤めしました。

面倒なことを面倒としない。
そこに何か尊いものをいただける気がします。

お金の扱い方について

もう一つ、お金の使い方についてお話し致します。

はずきさんはここで
「お金の扱いは、人を愛するように」と書いています。

ずいぶん前のことで、何の本に書いていたのか覚えていませんが、
同じようなことを書いている人がいて、私もお話でよく使っていた考え方です。

お金は入ってくるとき、自分が働いたお金だから当然と思う。
自分の財布から出ていくお金に嫌な顔をする。
これらの行為は避けたほうがよいようです。
また、小銭を粗末に扱ったり、
お札をしわだらけにしないということも大事です。

私が幼少のころ、父が誰かを諫めていることがありました。
「人にお金を出す時、こんなしわくちゃにして出してはいけない」と。
面倒でも、しわを伸ばして出すことがマナーのようです。

そのことが、ずっと心に残っていて、
私のお財布には、いつもお札はおらずに入っていますし、
小銭も粗末にはしません。
出す時には、表と上を揃えて出します。

でも、今は現金を使わず、
携帯で用を済ませてしまう時代になってきました。
現金はお賽銭のみのようです。

はずきさんは、お金をいただく時の心構えをこのように書いています。
「ようこそ!私の元に来てくださって、ありがとうございます。
 ゆっくりくつろいでくださいね」
と、笑顔でお迎えする。

お金が出ていくときには
「みなさんに喜びと幸せを分かち合えるよう、存分に働いてくださいね。
 お友達をたくさん連れて帰ってきてくださるよう、お待ちしています。
 いってらっしゃい!」
と、気持ちよく送り出してあげる。
そんな言葉をお金にかけてあげるというのです。

面倒でも、こんなお金の扱い方が、幸せを呼び込むのです。
ためしてみてください。

考える力が幸不幸を決める 4 生きる意味の考え方

どうして私は生きているのか

生きるうえで大切なことは、
「どうして今私は生きているのか」を知っていることです。

そのようなことを知らないでも生きていけますが、
知っていたほうが、よりよく生きることができるように思います。

人生一度きりだから、楽しく生きればいいという、
そんな考えもありますが、せっかく
「生まれようとして、生まれてきた」のですから、
何か深い理由があって生まれてきたのです。
その理由が、その人の生きる意味になってきます。

人の人生はみな違っているので、
人生の意味もそれぞれ違うかもしれません。

ここで17歳になる高校女子生徒の投書を読み、考えてみます。
「いつか恩返し・・・今を生きる」という題です。

「いつか恩返し・・・今を生きる」

私は生きることの意味についてよく考えます。
以前、友達と遊びに行ったときに帰宅の門限を過ぎ、
母に強く怒られたことがありました。

母は涙を流しながら
「生きていてくれてよかった」と言いました。

その言葉を聞き、
母は姉や私を守るために必死に生きているのだと思いました。

私は平凡な毎日を過ごしていますが、
周りの多くの家族や友達に支えられています。
「いつか私を支えてくれている人たちに恩返ししたい」
という思いで、今生きています。

果たして私を必要としてくれる人がいるのか分かりません。
もしいるならば、その人のことを支えることも生きる意味だと感じます。

一人一人、生きることの意味は違うと思います。
不安や重圧で、今生きている意味が分からない人もいると思いますが、
いつか必ず、それぞれの生きる意味を見つけられると信じています。

(産経新聞 令和7年1月27日付)

この高校生の今の生きる意味は、支えてくださる方に恩返しをする。
そのために必要な人となる、ということです。相手を幸せにする。
そのために、受けた恩を感じ、必要とされる人として、
自分を高めていく。そんな生きる意味の考え方です。

考え方によって、その人を幸不幸にしていくならば、
この高校生は、幸せになる考え方をしているのです。

詐欺や万引き、盗みや、人を騙して幸せを奪う。
自分の不幸を相手や社会のせいにし、その思いを紛らわせるために、
自分に関係のない通りすがりの人を傷つける。
そんな考え方で生きていれば、決して幸せにはなれません。
この世で深く反省しなければ、やがて死して後、
閻魔様の裁きを受けることになるでしょう。

小さなことでも相手のために

相手を幸せにする、と高校生のことを書きましたが、
大きなことでなく、ほんの身近で小さなことでもいいのです。
その言葉や行いが心を温かくし、幸せの笑顔になれるのです。

こんな詩がありました。
81才になる女性の詩で「蜂」という題です。

「蜂」

信号待ちの車の中
足長蜂が乗車していた
軒下に巣を作った蜂だ
窓を開けると
素直に風に乗った
迷わず家に
帰れるかな と私
やさしいんだな と夫
蜂嫌いな私なのに・・・
コロナの所為か
年齢の所為か
キュンと心が
蜂に刺された

(産経新聞 令和3年6月30日付)

「キュンと心が蜂に刺された」ところの表現は上手ですね。
詩の作者が、嫌いな蜂を逃がしてあげて、
その蜂が家に帰れるかと心配する。
それを見た夫が「やさしいんだな」と言う。
読み手の心を、ほんのり温かくしてくれます。

考え方によって、幸不幸が決まってくるなら、
幸せになれる考え方をし、その考え方にそって言葉を使い、
日々の行いをさせていただく。
そして共に、幸せの道を歩んでいく。
そんなお話でした。