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法話

風を友とする(読切) 風から学びとる知恵

今月は「風を友とする」という題でお話し致します。
このお話は平成29年3月1日、お寺の女性部の理事会でお話ししたものです。

風を調べてみると『季節の言葉辞典』(栢書房)に、90個もあります。
4月の「法愛」では、風について5つほどあげ、人としての生き方を学んでみます。
今回は、1回の読みきりです。

風の姿

世阿弥(ぜあみ)という人は
室町初期に活躍した、能役者であり、作者でもあります。

有名な著書に『風姿花伝』(ふうしかでん)という本があって、
若い頃読んだ覚えがありますが、今回読み直してみました。

この本の名をつけた意味は
「先人の遺風や芸を心から心へと伝えていくという花の教訓」
と言われています。

この『風姿花伝』は、
世阿弥の父である観阿弥(かんあみ)が教えてくれたことを
世阿弥が書き残したものです。

この本は、誰にも教えない秘伝であったようで、
明治のころ読めるようになったと言われています。

この本の題名に風姿という2文字が出てきます。
「風の姿」です。風は確かにあるのですが、目には見えません。
見えないけれども、さまざまな物や人に影響を与えていきます。

木が揺れると、そこに風が吹いているとわかります。
風鈴が鳴ると風が揺らしているのだと知ります。
タンポポの綿毛が、空を飛んでいると、風が飛ばしているのだなあと理解できます。
人も春のあたたかな風を受けると、ほのぼのとした思いをいただけます。

能の風

風が木々や風鈴、タンポポの綿毛を飛ばしている時、
私たちはそこに風を感じ取ることができます。
それを風の姿とたとえて、お話を続けていきます。

能の中にはさまざまな役があります。
女性の役、老人の役、物狂(ものぐるい)や、法師、神、鬼まで
役があるようです。

その役に、能の秘伝という教えの風が入り込むと、
その役に徹することができるというのです。

この法師という坊さんの役ですが、
本には「気高きところを学ぶべし」とあります。
僧侶として反省するべき教えです。

坊さんとしての姿で印象的なのが行脚する姿です。その姿が、「
どこまでも、深く仏の世界に思い入る趣や風情が非常に大切である」
としています。

たとえ僧侶の資格をとっていない役者さんでも、
能という法師の風を入れることで、法師になれるわけです。

そんな風の姿を自分たちが感じ取り、その姿を私たちの心の中に入れると、
その風によい影響を受けて、人としての尊い役を演じることができるのです。

春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)を友とする

私が持っている本の中に『まるごと日本の季節』学研)があります。
四季の季節の事を絵入りで説明しています。
その中に風の説明を幾つか載せていますので、
その説明を載せながら、風を友とするお話をしていきます。

まず4月の前半に「春風駘蕩」が載っていて、こんな説明がされています。

「春風駘蕩」

春の風がそよそよと吹くさま、
ゆったりとのんびりとしているさまをいう。

このころの空は晴れていても、
もやがかかったようにぼんやりしていることが多い。
地上付近には霞(かすみ)がたなびき、ぼうっとした光が景色をつつむ。

春風駘蕩は春の風で、ゆったりのんびりしている、
そんなさまをいうと書いています。

忙しい日々を送って、不満の思いが絶えない人や、
仕事で手いっぱいで、早く休みの日がこないかなと思っている人。
あるいは悩みや不安をかかえて、生きているのが苦しいと思っている人。
そんな人の心に、この春風駘蕩の風を入れてみるのです。

すると、道脇に咲く小さな花を見つけて、
忘れていたほほえみを取りもどしたり、
身近にあった、小さな幸せを見つけることもできるかもしれません。

こんな投書がありました。
72才の女性で、「幸せはいつもあなたのそばに」という題です。

「幸せはいつもあなたのそばに」

あわただしい生活を送る中、ふっと幸せに包まれることがある。
良心に従って生活しているとき、懐かしい思い出に浸っているとき、
体調のよいときなのだ。

しかし、その幸せ感は漠然としていて長くは続かず、
その感情を書いたり言葉にしたりしようとするとパッと消えてしまう、
はかないものだ。

幸せにもいろんな形がある。
ささやかな日常の暮しの中で発見できることやものも多々ある。

例えば、いるだけで安心する家族の存在、
赤ちゃんの微笑、たまに来る友人からの便り、ちょっとしたおしゃれ、
流れる音楽、季節の移ろいや日だまりの散歩道、冷たい水の美しさ、
暖かい部屋とスープの匂い、コーヒーやレモンの香りなどなど。

幸せは自分の心の持ち方や感じ方で誰にでも公平に与えられているものではないか。
そんなわくわくした喜びが、幸せ感につながり、
人生を楽しくさせてくれるような気がする。

(産経新聞 令和7年2月付)

こんな投書です。

あわただしい生活の中で、ゆったりした風を心に入れて、
足元にあるささやかな幸せを感じてみてください。
人生の楽しさが増していきます。

穀風(こくふう)という風を友とする

穀風は4月後半ごろ吹く風ですが、こんな説明が書かれています。

「穀風」

春、東方から吹いてくる百穀(ひゃっこく)を成長させるという風。
同じ時期に降る雨は穀雨(こくう)という。

このころ畑には種がまかれ、田んぼには水が張られる。
準備を終えた田畑に雨で恵みがもたらされる。

この穀風を友とするには、自分のことばかり考えているのでなく、
相手が幸せになっていける、そんな生き方を教えているのかもしれません。
風が穀物の幸せのために、穀物を成長させ育てる、
そんな働きをしているからです。

平成29年「法愛」3月号の、みにミニ法話の中で、
「軍手」というお話を載せています。

このみにミニ法話の演題が「やさしさは宝」でした。
穀風のように、相手に対して幸せを思う、そんなお話です。
もう一度載せてみます。

「軍手」

とても寒い日、娘と二人で車に乗っていると、
前を走っている引越しの小型トラックの荷台に、
冷蔵庫を素手で支えている若者がいました。

「トラックの人寒そうだね」と娘と話していると、
信号が赤で止まった時、トラックの横にいた車のドアが開き女性が出てきて、
その若者に軍手を渡しました。

若者はお礼を言い、女性は急いで車。
すぐ信号は青。
若者は軍手をはめ、トラックは走り去っていきました。

本当に一瞬の出来事でしたが、
「こんな寒空にやさしい人が弘前にもいるんだ」と
娘と二人、温かい気持ちになりました。

(喜びのタネまき新聞 No.488)

こんなお話です。

軍手を渡した見知らぬ女性、ありがとうとお礼を言った若者。
それを見た二人は、温かな気持ちになったと書いています。

穀風も穀物を育てる、温かな風です。
そんな風を心に入れ、いつも友として、自分も相手に温かな風を吹かしていく。
そんな生き方が尊いと教えていただけます。

光風(こうふう)という風を友とする

光風は5月後半ごろに吹く風です。こんな説明があります。

「光風」

日差しが少しずつ強まり、きらきらと輝いている景色を吹き渡る風。
また雨上がりの日差しの中、濡れた草木の間を吹きぬける風のこと。

光の粒があちこちに弾けるような命の輝きを感じさせる。
かぜひかる(風光る)はこの風が吹いているさまをいう。

ここから考えられる風の姿は、
人を幸せにするために、自らが幸せになって、
いつもきらきら輝いている生き方。そんな姿を思い起こします。

たとえば自分にお金がなければ、
困っている人にお金を差し上げることはできません。
教師も知識を得ていなければ、生徒に教えることもできません。
自分が自立していなければ、相手を支えることもできません。

お寺で出している、ある年の月の言葉に
「いつも幸せとほほえんでみる。心に生きる力がたまっていく」
がありました。

幸せであることが、生きる力になっていきます。
ですから、自分が幸せであるからこそ、相手を幸せにする力があるわけです。

山田昇さんは、昨年亡くなられたのですが、
私が書いた本を読んでくださり、それ以来ずっと「法愛」を読まれ、
そしてお返しにと、毎月お話の資料を送ってくださっていました。
たくさんの資料の中に、「言葉は人生を変える」があって、
そこに「天国の言葉」「地獄の言葉」が印刷されていました。
そして、「幸せになりたかったら、天国の言葉をたくさん言って、人から人へ」
とありました。

光風がきらきら輝いているように、天国の言葉を使い、
自らも幸せになって、そのきらきらした思いを相手に伝えていくのです。
そんな言葉を載せてみます。

天国の言葉

ついている うれしい 楽しい
感謝しています ありがとう 許します
よかった お蔭さま しあわせ
すばらしい おいしい 簡単だ
まだ若い できる 絶好調

こんな言葉で自分を幸せにしていくのです。

白南風(しらはえ)という風を友とする

次は白南風です。この風は7月前半ごろに吹く風です。
こんな説明が書かれています。

「白南風」

梅雨の明けたころ吹く南風。
雨雲が去り、抜けるような青空に白い雲がたなびく。

梅雨のくろはえ(黒南風)とは対照的に、
「白」の字が梅雨が明けた景色がさあっと明るくなってきたような
季節感が込められている。

この風から、人生には困難や苦労があるけれども、常に明るく受け止め、
「黒」というマイナスの思いを吹き払い生きていく。

そんな意味に取ることができます。

こんな詩がありました。
81才の女性の詩です。「研ぐ」という題です。

「研ぐ」

夫が包丁を研いでいる
砥石に向かい
静かに研いでいる
長いリハビリの後
少しずつ戻ってきた日常
シュッ シュッ
刃先を確かめ
息を整えながら
静かに
心と身体を研いでいる

(産経新聞 令和6年11月22日)

長いリハビリの後、自分の心を磨くように、砥石で刃物を研いでいる。
そんな夫の姿に、困難や苦労もあるけれど、マイナスの思いを削ぎ落している。
そんな感じがします。白南風の姿です。

青東風(あおこち)という風を友とする

この風は7月後半に吹く風で、土用東風とも言います。説明にはこうあります。

「青東風」

夏の土用のころに吹く東風。雲ひとつない青空のもとに吹くあおこち(青東風)ともいう。

このころはるか遠くの南の海で台風が生まれ、
そのうねりが大波となって日本の海岸に打ち寄せてくる。
これを土用波という。

暑さの中、風鈴を鳴らす風といってもいいかもしれません。
その音に、涼やかさを思わせる風でもあります。

そんな風を受けると、こんな思いがします。
「生きていることが、有り難い」と。青東風は、そんな風の姿かもしれません。

年を取るにしたがって、白髪が増えてきます。
普通に考えると、あまり嬉しいことではないかもしれません。
でも白髪を発見したとき、「うれしかった」という人もいます。

50才過ぎの女性で、11才の時から難病に取りつかれ、
何度も「あと数日の命」とか「もうダメだ」などと言われながら、
今まで奇跡的に生きてこられた。

「自分もやっと老人になるところまで生きのびたのだ」と感じて嬉しかった
そんな女性です。(『「老いる」とはどういうことか』河合隼雄参照)

生きることは嬉しく有り難いことです。
風からも、花からも、苦難や困難からも学び取って、
与えられた命を大切にし、きらきら光らせて生きていくのです。