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法話

幸運と不運 1 幸運と不運の関係

今月は「幸運と不運」という題でお話し致します。
このお話は平成29年6月24日、お寺の女性部の法話会でお話ししたものです。
1時間ほどのお話でしたので、2回にまとめてお話し致します

交互にくる幸不幸

中国の故事に「人間万事塞翁が馬」があります。
これは人生には何が幸せになり、何が不幸せになるのか、
前もってわからないというたとえです。

ですから、幸せであったり不幸であったりしても、
あまり喜んだり悲しんだりしないということです。

こんなお話です。

昔、塞翁(さいおう)というおじいさんがいました。
あるとき不運にも飼っていた馬が逃げてしまいました。

それを見たまわりの人たちが
「可哀想に、貴重な馬が逃げてしまった」とお悔やみをいうのです。
しかし塞翁は悲しまずに逃げてしまった馬のことを、とやかく言うことはありません。

すると数カ月して、逃げた馬が一頭の足の速い馬をつれて戻ってきたのです。
馬が逃げたという不幸が、今度は幸運になったのです。

まわりの人たちは「まことにめでたい」というのですが、
おじいさんは喜んだ様子もありません。

ところが、足の速い馬におじいさんの息子が乗ったところ、
馬から落ちて怪我をして、身体が不自由になってしまったのです。

まわりの人たちは「かわいそうに」と憐れむのですが、
おじいさんはそんな様子もみせません。

やがて近隣で戦争が始まり、
この村の若者も、その戦争に行かなくてはなりませんでした。
9割の若者が、その戦争で亡くなったといいます。

しかし、おじいさんの息子は身体が不自由であったので、
その戦争に行かず、命を失うことはありませんでした。

そして父母のもとで、幸せに暮らしたという。
そんなお話です。

ここで、幸運と不運が交互に交わりながらやってくることがわかります。
そんな幸不幸に人生を振りまわされないで、静かに受け取って暮らしていくと、
幸せに暮らせるということです。

そんな生き方を、ここでは学ぶことができます。

何が幸運を連れてくるかわからない

コント55号で有名になった萩本欽一さんは、たくさんの本を書かれています。
コンビを組んでいた坂上二郎さんは14年ほど前に亡くなられましたが、
坂上さんとの出会いを『ユーモアで行こう!』という本の中に書かれていました。

「幸せはいつもあなたのそばに」

欽ちゃんがまだ売れなかった時期に、
あるときにテレビの仕事をしたそうです。
55号を結成する前で、浅草でコメディアンをしていた時のことです。

そのテレビの仕事は司会の仕事で、
苦手な台本どおりにセリフを一生けん命しゃべって、
何とか本番をこなしたようです。

司会をしたテレビを見るのを楽しみにしていたのですが、
欽ちゃんの出番は全部カットされていて、とてもショックを受けたそうです。

「こんなに頑張ってやっているのに、テレビでは僕の芸は何ほどでもない」
と思い、
「こんなバカなこと、もうやめた」
と、テレビに出るのをやめて浅草にもどったのです。

そこで出会ったのが坂上二郎さんだったのです。

「もし、あのとき出番をカットされずに、
 細々とテレビの仕事を続けていたら、
 今の僕はなかったかもしれない」
と、そう書いています。

そして、有名になってから、
テレビの司会をカットしたディレクターにお会いすることがあって、
そのディレクターが、
「ごめんな。あのときのこと。
 あれから欽ちゃんが有名になって、気になってて」
と。そのとき欽ちゃんは、
「ごめんじゃないですよ。むしろ恩人です」
と、言ったそうです。

(『ユーモアで行こう!』(KKロングセラーズ))

あのときテレビをやめて、今日があるのは、この人のおかげ。
だからあなたは恩人です。そう言ったのです。

何が幸運か、分かりません。
でも、テレビの司会をカットした人を恩人と言える心根が、
幸運を運ぶ力になっているのではないかと思います。

意地悪をされ、それをずっと覚えていて、恨む。
そんな生き方からは、おそらく幸運の神は逃げていくと思われます。

欽ちゃんが有名になってから、
オールスター家族対抗歌合戦という番組があって、
その司会を頼まれたそうです。

「司会なんて、絶対にできない!」といったら、当時のディレクターが、
「それでは女性のアシスタントをつけます」というので、
その司会を受けたのです。

この時から、
司会とそれを助ける女性アシスタントのスタイルができたようです。

ここでは「できない」ことから、新しい企画が創られていく。
できないことを、あまり心配して、落ち込まない。
これも幸運を引き寄せる力かもしれません。

不運を幸運にしてしまう

今までのことをまとめると、まず、幸運や不運にふりまわされないこと。
幸運の時には、あまりに喜びすぎて、有頂天にならないこと。
不運の時はやがて幸運が来ると思い、地道な努力をおしまないこと。

そんな幸運と不運の関係は、
「禍福は糾(あざな)える縄の如し」という格言に教えられます。

この格言からも学べますが、もう少し考えを深めていって、
不運を幸運にしてしまえば、いつも幸せに暮らせるのです。

こんな詩がありました。
疲れた苦しみを忘れさせ、再び元気に歩き出したという詩です。
53才の男性が書かれた詩です。

「空のポスト」

ポストに入れても
いれても続く新聞配達
十九のぼくは疲れ
ため息をついた
が、そのとき
道の彼方に朝焼けが
空のポストに見えた
空のポストが
「頑張れーえ!」と
光を贈ってくれて
いるようだった
すると家々のポストも
ピカピカとぼくに
エールを贈りだした

(産経新聞 平成29年3月22日付)

こんな詩です。

19才のとき、入れても入れても続く新聞配達で、
疲れてため息をついてしまったのです。
不運に当てはまるかもしれません。

でも、ふと空を見ると、道の彼方の朝焼けが「空のポスト」に見えたのです。
この時、不運が幸運に変わる瞬間です。

空のポストが「頑張れ」と光をプレゼントしてくれ、
家々のポストもピカピカに光って、頑張れとエールを贈ってくれたのです。

大変な新聞配達でも、考え方を変えることで、
幸運という力をいただけたのです。

ですから、どう考えるかで、
幸運になったり、不運になることがわかります。

幸運と不運 2 幸運と不運の道

因果の道

そこで、幸運と不運の道を知っていれば、不運の道を行かないで、
幸運の道を歩いていけばいいことになります。

その道のひとつに、「因果の道」があります。
この表現は、どこにも出てきませんが、
善いことをすれば、善い結果が現れ、
悪いことをすれば悪い結果が現れるという法則です。

ですから、幸運の道を行きたいならば、
善の道を選び歩いていくことです。
悪の道は不運に遭い、不幸の多い人生になってしまいます。

自業自得という言葉がありますが、
自分がつくった善悪の報いを自分自身が受けるということです。
一般的には、悪い報いを受けるほうにとらえることが多いと思います。

お釈迦さまは、この因果についてこう説いています。

「その報(いはわたしには来ないだろう」
とおもって、悪を軽んずるな。

水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされる。
愚か者は、水を少しずつ集めるように悪を積むならば、
やがてわざわいにみたされる。

「その報いはわたしには来ないだろう」とおもっても、
善を軽んずるな。

水が一滴ずつ滴りおちるならば、水瓶でもみたされる。
気をつけている人は、水を少しずつでも集めるように善を積むならば、
やがて福徳にみたされる。

(『真理のことば 感興のことば』 中村元訳 岩波文庫)

小さな悪でも、「少しならいいや」と思ってしていると、
あたかもその小さな悪が一滴ずつ「心の水がめ」にたまっていくのです。
そしてやがて禍に遭うのです。

小さな善でも、「小さくてもいいから、善を積もう」と思い、行っていると、
心の水がめに一滴ずつ善のしずくがたまっていって、
やがて福徳という幸運に恵まれるのです。

善いにつけ、悪いにつけ、
この因果の道は誰にも避けて通ることはできません。
そう知っていれば、善なる道を行くのみです。

ワシとキツネ

イソップ寓話の中に「ワシとキツネ」というお話が載っています。

「ワシとキツネ」

ワシとキツネがとても仲良くなり、近くに住むようになりました。

ワシは大きな木の上に巣をつくり、
キツネはその木の下の根元の草むらを住みかにして、
お互い子が産まれました。

ところがキツネがエサを探している間に、
食べ物がなくて困っていたワシは、キツネのいないすきを狙って、
キツネの赤ちゃんをさらい食べてしまったのです。

帰ってきたキツネは、大いに悔しがったのですが、
高い木の上にいるワシには何もできません。

数日後のこと、神様への儀式としてヤギが焼かれているとき、
ワシは火のついたヤギの内臓を盗んで巣に持ち帰ったのです。

しかし、火のついた内臓が巣に燃えうつり
巣が火事になってしまったのです。
ワシのヒナは地面に落ち、キツネに食べられてしまったのです。

こんなお話です。

ワシがキツネの赤ちゃんを食べ、
キツネがワシのヒナを食べてしまったというお話です。

悪いことをすれば悪いことが起こるという、そんなお話です。
因果の悪い道を歩んだ結果です。

昨年の特殊詐欺の被害額が、最悪の721億円もあったそうです。
人を騙してお金をむしり取る。やがて悪の結果としての禍に遭うことでしょう。
閻魔様の怒りの顔が目に浮かびます。

人を思う善なる生き方

悪ではなく、善なる道を行けば、幸運が招き寄せられます。
そこにはあたたかな幸せの風が吹きぬけていきます。

「父の言葉 世代超えて伝わった」という投書を読んでみます。
76才の女性の投書です。

「父の言葉 世代超えて伝わった」

60年近く前の私の成人式。
日本全体がまだ貧しく振り袖を用意できない家庭も多かった。
母に振り袖をあつらえてもらえた私が父に言った。

「友達に『着物がないから成人式に出ない』って言う人がいるの。
 そんなのって大人じゃないよね」

父は悲しい顔をして言った。

「そういうお友達に寄りそってあげられる人を大人と呼ぶんじゃあないかな。
 君は振り袖を持っているという心の余裕があるんだから、
 そのお友達と洋服で参加すれば? その人が居心地良く参加できるだろう」

目立ちがりやの私は、渋々受け入れた。
話を聞いた裕福な叔母が、朱色のスーツをあつらえてくれた。

私の娘が思春期になった時、父の言葉を伝えた。
娘は成人式に私が着るはずだった振り袖を着て行った。

その後、娘はある祝いの席に
晴れ着を用意できない友人に会わせてジーンズで参加した。
お父さん、あなたの言葉は確実に伝わっているよ。

(朝日新聞 令和7年1月12日付)

こんな投書です。

振り袖を着れない友人のために、洋服で参加すればいい。
その友人も居心地よく参加できるだろう。
そういうお父さんの言葉は、相手をおもいやる思いにあふれています。

この方の娘さんも、
晴れ着を用意できない友人のためにジーンズで参加したといいます。
この娘さん自身、相手をおもうやさしさがあります。

そんな生き方が、幸運を引き寄せ、不運をも幸運に変えていきます。
悪い思い、言葉、行いは、幸運を邪魔するもの。
善い思い、言葉、行いが幸運を招くのです。

(つづく)