法話
幸運と不運 3 不運をさけ幸運を呼び込む生き方
先月は幸運と不運は交互にやってくるという関係や、
考え方で不運を幸運にしてしまうこと、善が幸運を招く。
そんな話でした。続きです。
短気が不運を引き込む
短気は損気ということわざがあります。
小さいことでも気に入らないことがあれば、
すぐかっとなって怒ったり、不満を言ったり、相手を攻撃したりして、
それが結局、損をすることになり、その生き方が、
不運を呼び込んでしまうのです。
短気を良い面でとらえれば、
決断や行動が早いとか、気前がいいというとらえかたもできますが、
「待てない」というところから、この短気がきているといえます。
短気な人の口癖を調べてみると、こんな言葉が出てきます。
「遅い!」
「いいかげんにしてよ」
「何でこんなことができないの」
「早くしてくれない」
「今すぐやって」
「どうしてこうなるんだ」
「それは違うだろう」
「そんなの無理」
「もっとちゃんとやってよ!」
「だから言ってるじゃない」
「まったく信じられない」
「何してたんだ!」
などなど。
みんな待てないという、気短さからきています。
短気の「気」からは、
「気に食わない」「気に入らない」「気に障る」などがあって、
それに「短い」を掛け合わせると、
待てずに一瞬で、こんな気持ちになってしまうのです。
そして、それが不運を呼びよせ、幸せを逃がしてしまうわけです。
待つことの宝の時間
前述した短気な人の口癖を、なるべく出さない方法が、
相手を信じて、気長に待ってあげること、
相手の良い所を見てあげて、待ってあげることではないかと思います。
仕事などで、期限に間に合わないときには、待てないときもあって、
準備や段取りの足りなさを注意されるときもあるかもしれません。
次の投書から学んでみます。
61才の女性の「人を信じて待った宝の時間」という題で書かれた投書です。
「人を信じて待った宝の時間」
中学生の頃だったか、友人と電車の最寄りの駅で待ち合わせた。
時間を過ぎても来ない人がいた。
今のように携帯電話なんてない時代。
駅の改札口近くにある掲示板が唯一の連絡手段であった。
「〇〇へ、先に行っています。」と名前を書いてその場を離れた。
掲示板を読み、合流してくるという不思議な確信があった。
遅れた友人と会えたのかは記憶にない。
大学の時、付き合っていた彼に会いたくなった。
連絡手段はない。
彼の駅の改札でひたすら待った。
しばらくすれば電車を降りて来る、このときも確信があった。
待つだけでの時間が苦ではなかった。
それが日常だったから、人を信じ、ゆっくりとした、穏やかな時が流れていた。
今は便利なスマホで、いつでもどこでも連絡が取れる半面、
人や時間に縛られていると感じる。
昭和の時代は待つこと、直接会うことで心に余裕が生まれ、
人を信じる日常があった。
かけがいのない宝物の時だった。
(朝日新聞 令和7年4月29日付)
こんな投書です。
相手が遅れてきても気にしないで、待つ。
それがかけがいのない宝の時間というのです。
そんな心を波立たせない穏やかさに、
きっと幸運の女神がほほえむことでしょう。
この穏やかな思いは、とても大切な心の宝ともいえます。
幸運を呼び込む穏やかさ
ひとつの短歌を見つけました。
男性の作です。
時がゆっくり流れ、穏やかな時間の中に住むと、
何かとても大切なものが見えてきます。
それがまた、幸運を呼び込み、幸せな時が得られるのです。
ちり紙に窓の亀虫乗るを待ち
広野へふっと送り出したり
(読売新聞 平成28年1月16日付)
亀虫がちり紙に乗るのを待つという時間も、
とても尊い時間かもしれません。
亀虫は匂いがきついので、嫌う人も多いかもしれません。
でも、この男性は、おそらくこの亀虫を
やさしい眼差しで見守っていたと思われます。
それが幸せな時をもたらすのです。
この4月22日に、お寺で般若法要がありました。
比較的新しい本堂ですが、やはり亀虫さんが横行しています。
法要中に、ある女性が、
亀虫がゆっくり自分の方によちよちと歩いて来るのが
とても可愛らしく見え、亡くなったお孫さんを思い出し、
亀虫が孫ではないかと思い、涙したといいます。
亀虫は孫ではありませんが、
亡き人は、霊的な力でちょうや虫に託して、
自分の思いを伝えるといいます。
きっと、亀虫を使って、お孫さんが、ばあばに会いに来たのでしょう。
法要の時、よくある現象です。
なかにはガムテープで亀虫をくっつけて捨てる人もいます。
気持ちはわかるような気がしますが、おそらく幸運は来ないでしょう。
もう一つ、虫という題で詩を作った14才の女の子の詩を学んでみます。
「虫」
本を読んでいたら
ページの上に
小さな羽虫が止まった
払おうとして
ふと気付いた
もう虫達の季節に
なったのだ と
私がそれに気付いて
いなかったから
教えに来て
くれたんだね
そっと本を
読ませてあげよう
(産経新聞 平成29年5月14日付)
短気であれば、羽虫をすぐ追い払ってしまうでしょう。
でも、ふと気付いた。虫さんが季節を教えてくれたのだと。
そして、そっと本を読ませてあげようと。
その思いを詩にしています。
本を読ませてあげる、この少女の思いは、とてもやさしさに満ちています。
きっと幸運を引き寄せ、幸せな時を過ごしたことでしょう。
欲深きは不運を招く
欲をかくと、幸せが逃げてしまいます。
不運を招くともいえます。
このことを『宇治拾遺物語』という説話集で考えてみます。
私が持っているのは、小学館が出している『日本古典文学全集』で、
その中に入っています。
この物語は作られた年代ははっきりしないようですが、
鎌倉時代前期までにはできていたといいます。
宇治に住んでいた大納言という人が説話を集めたもので197話あり、
この説話や『今昔物語』などから日本昔話が出て来たという経緯があるようです。
たとえば、
お寺に泥棒が入って、本尊様の前にいったら、
その泥棒が急に動けなくなった。
翌朝までそのままでいて、坊さんが朝のお勤めにきて見つけ、
坊さんがその泥棒に「あんたは泥棒か」と問うと、「そうです」。
「それは駄目なことだぞ」と、諭し
「よくわかりました」と頭を下げると身体が動くようになり、
何も取らずにお寺を出て行った。
そんな話も載っています。
この197話の中に「雀の報恩の事」という物語がでてきます。
「雀の恩返し」という日本昔話がありました。
ずいぶん長いので、少しまとめて載せてみます。
「雀の報恩の事」
60才くらいの老女(この年では、今ではまだ若いのですが)が、
しらみを縁側で取っていたら、そこに雀が飛んできました。
その雀に子ども達が石を投げつけ、
いっぴきの雀に石があたって、舞えなくなってしまいました。
老女は子ども達を諫めて、雀を介抱し、よくなった雀を逃がしてやりました。
雀は、このように介抱してくれてとても嬉しいと思いました。
雀と親しくなった老女は、いつの日か雀が帰ってこないかなと思っていると、
数カ月して、その雀が仲間を連れて、老女の家に戻ってきました。
そのとき、お世話になった雀が、ひと粒のの種を置いていきました。
※瓢(ひさご・ユウガオやヒョウタンの類で、ここではヒョウタンにしておきます)
その種を植えると、たくさんの瓢ができ、
それを村の人にあげると、みな美味しいといって食べてくれました。
残った7つほどの瓢を乾かしヒョウタンにしました。
ヒョウタンの中のものを取り出そうとすると、
なんと、お米が出てくるではありませんか。
さらに驚くことは、入れ物に移しても、前と同じように、
そのヒョウタンの中にお米が入っているのです。
老女は雀が恩返ししてくれたのだろと思い、嬉しく思いました。
それを隣の老女が聞いて、じゃあ私もといって、
家に来た雀に老女が石を投げ、雀に怪我をさせます。
それも一っぴきでは足りないと三びきに怪我をさせ、
カゴに閉じ込めて治してやり、逃がしてあげました。
雀は腰を折られて、こんな幾月も閉じ込められて、実に悔しいと思ったのです。
元気になった雀が、同じように瓢の種を持ってきたので、
それを植えて育てました。
でも、育った瓢には実はあまりならず、それを村の人に配ると、
みな「こんな不味いものは食べたことがない」と言って、
中にはおなかを壊す人もいました。
残りをヒョウタンにして、「しめしめ」と、
にやりと笑いながら、ヒョウタンの中の物を取り出すと、
アブ、ハチ、ムカデ、トカゲなどが出て、
目と言わず鼻と言わず、体中に取りついて刺したのです。
もう一つのヒョウタンからは、毒虫がでてきて、大変な目にあったということです。
こんなお話です。
欲をかくと、とんでもないことが起こり、不運に遭うということになります。
子ども達が傷つけた雀を、可哀想にと思い、大切に看病してあげる。
そんな人が、恩を返していただき、幸運に恵まれるのです。
これは鎌倉以前から日本に伝わる人としての在り方です。
このような文化を残し、忘れないで伝えていくことが大切に思います。
日々小さな善を積み重ねる
先月の「法愛」で、善のしずくと悪のしずくのお話をしました。
善のしずくが心の水がめにたまっていれば、幸運を招き寄せ、
悪のしずくがたまれば、不運になるということです。
以前、お寺の裏庭に水たまりができていて、
そこにアリが一っぴき落ちていてもがいているので、
イソップ童話の「アリとハト」の話を思い出し、助けてあげました。
雀を助けた老女のように、アリの恩返しをいただけると思い助けたのです。
この思いはいじわるな老女の、見返りを求める悪なる思いになっていました。
アリとハトの話は、池に落ちたアリをハトが葉を落として助けてあげ、
猟師に打たれそうになったハトを、アリが猟師の足にかみついて、
ハトを助けたというお話です。
後で、知ったことです。
アリを助けたことで、心がなぜか温かくなったのです。
この温もりは、アリからすでに恩をいただいていたのです。
こんな詩もあります。
頭が下がる思いです。
こんな人の生き方が幸運を引き寄せるのではないかと思います。
68才の方の掲示板という詩です。
「掲示板」
マンション前の歩道に
絆創膏を貼ったのは
三階の愛ちゃんです
よく転んで怪我をする
愛ちゃんには
舗装の小さな裂け目が
地球の傷に
見えたそうです
「痛い痛い」
地球の声も
聞こえるそうです
ですから
花柄の絆創膏を
剥がさないでおります
――管理人より
(産経新聞 平成29年6月6日付)
地球が痛いという声が聞こえるといいます。
自分が転んでその痛みを知っているからです。
そして愛ちゃんがやさしいからです。
やさしいから、地球の痛みがわかるのです。
善を積むためには、やさしさが必要です。
そして、管理人さんも、この花柄の絆創膏を剝がさないでいるのは、
相手を思うやさしい気持ちからです。
小さな善もやさしさから出てきます。
小さくても相手を感動させる、そんな大きな力を持っています。
日々幸運に恵まれるように、穏やかに善なる道を歩んでいくことです。
