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法話

人生の竪琴を弾く 3 人生の楽譜を見つけ、それに従って奏でる

先月は「自分という絃をととのえる」ということで、
自分という絃のはりかたが強すぎてもいけないし、弱すぎてもいけない。
それは、自分に厳しすぎると心も身体も壊してしまうし、
楽なほうばかりを求めても充実した人生を得られない。そんなお話でした。
続きです。

人生の楽譜とは

「人生の竪琴」の竪琴とは、自分自身のことを言います。
そんな自分をどう生かしたら、幸せな日々を送れるか
という意味の演題です。

そこで次に、人生の楽譜について考えていきます。
何の曲にも楽譜があり、その楽譜にそって演奏をします。

音楽にも、さまざまなジャンル、種類があって、
自分の好きな曲を演奏するわけです。

クラシックやジャズ、演歌や民謡、あるいは童謡などがあります。
同じように私たちにも自分がこれだと思う、
そんな生き方の種類があります。

この楽譜とは何かというと、「教えの言葉」になります。

言葉で生きるもの

少し難しくなりますが、
「マタイによる福音書」の中に、こんな話があります。
イエス様が悪魔に試みられたという話です。
第4章を、引用してみます。

イエスが四十日四十夜断食をして、空腹になられた。
そのとき試みる者(悪魔)が来て言った。

「もしあなたが神の子であるなら、
 これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」

イエスが答えて言われた。
「『人はパンだけで生きるものではなく、
 神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである』
 と書いてある」

(「マタイによる福音書」第4章より)

このイエス様と悪魔の対話から教えられることは、
「言葉によって正しく生きる」ということです。

イエス様が、「このような生き方が大切ですよ」と語られたら、
その言葉を自分が受け取って、その言葉と同じような生き方、
音色を出せるように生きていくわけです。
その言葉が楽譜になるのです。

楽譜となる教えの言葉

仏教でも同じようなことが言われています。
こんなお釈迦様の言葉が残されています。
ここに出て来る私はお釈迦様のことです。

私はむしろ、我が悟りし法、
その法こそ尊び敬い、近づきて住(じゅう)すべきである。

ここに出て来る法は「教えの言葉」です。
この教えの言葉に近づいて、その言葉によって
自分をととのえ生きていくと幸せになれますよ、ということです。

こんな言葉も残されています。
『金剛経』(こんごうきょう)という仏典の中にでてきます。
簡単に意訳します。

もし姿を見て私だと思い、声を聞いて私を求めたなら、
この人は正しい見方をしていない。
決して私(如来)を見ることはできないでしょう。

お釈迦様を見る方法は、
お釈迦様が語った法、教えの言葉を見る、味わうということです。
そこにお釈迦様の真なる姿を見ることができるというのです。

法を見て、人を見てはいけない

ずいぶん前になりますが、私が本山の布教師の資格を取るため、
2週間ほど本山に詰めて、研修をしたことがありました。

その時、石庭で有名な竜安寺の近くの
大珠院(だいしゅいん)というお寺の住職をなされていて、
花園大学の学長をされた盛永宗興(そうこう)という老師の
連続講義を受けたことがありました。

亡くなられてもう30年にもなります。
老師の師匠は後藤瑞巌(ずいがん)という老師で、
妙心寺や大徳寺の管長をされた方です。

その老師に教えていただいたことを幾つか語ってくれました。
その中に、こんなお話がありました。

当時まだ駆け出しの宗興老師が、修行道場から休みをもらって、
瑞巌老師のもとに帰ってきたときです。

どうも修行道場では、雲水(うんすい・修行僧)たちが、
宗興老師にとっては、修行僧ならぬ語らいや振る舞いがあって、
本当にこの人たちは修行しているのかと思い、
それがどうしても許せなかった。
そのことを不満一杯に瑞巌老師に語ったのです。

その時、瑞巌老師が、
「お前は人を見て、法を見とらん。
 お前は修行の中で、どのような教に出合って、
 その教えに従って自分の心を磨くのが修行であるのに、
 人荒ばかり見て、法を見とらん」

そう叱られ、諭(さと)されたというのです。

教えの言葉によって自分を磨いていく。
そんなお話を聞いて、当時ずいぶん、
私の心の邪を払ってもらったことがありました。

心の言葉を味わってみる

心に残る言葉の本はたくさん出ています。
私もたくさんそんな本を持っていますが、
その中に、『人生を変える言葉2000』(西東社)という本があります。

よく考えて工夫して書かれていて、
ずいぶん時間をかけて作ったのではないかと思います。

まず、イギリスの作家で
シャーロット・ブロンテという人の残した言葉を挙げてみます。
彼女は40年くらいしか生きられなかったのですが、
代表作に「ジェーン・エア」があります。

人生は短いから、私は
憎しみや不正をいつまでも心に
残してなんかいる暇が
ないような気がするの。

(『人生を変える言葉2000』(西東社))

憎しみや不正をいつまでも心に残していると、
自分自身が苦しいものです。

こんな詩がありました。
90才になる女性の詩で、「手を握る」という題です。

「手を握る」

小さなけんかをして
気まずくなった
二人だけの老いの日々
先に床に入った夫の
硬い手をまさぐって
そっと握る
眠ったふりをして
握り返したような
そんな気がして
安心した私

今は自分の手を
自分で握って
反省している

(産経新聞 令和7年7月17日付)

けんかをしていつまでも怒り、口もきかない。
そんな人もいるようですが、その日に手を握って、仲直りし、
後で自分の在り方を反省する。そんな女性の詩です。

90才ですから、長生きされている人ですが、
いつまでも憎しみ怒りを心に残さない、大切な生き方をしています。
尊い一女性の人生の曲です。

世の中で一番

もうひとつ挙げてみましょう。福沢諭吉の残した言葉です。
世の中でと始まり7つの言葉が載せられています。

世の中で一番楽しいことは、
一生涯貫く仕事を持つことです。

世の中で一番みじめなことは、
人間として教養のないことです。

世の中で一番さびしいことは、
する仕事がないことです。

世の中で一番みにくいことは、
他人の生活をうらやむことです。

世の中で一番尊いことは、
人のために奉仕し、決して恩をきせないことです。

世の中で一番美しいことは、
すべてのものに愛情をもつことです。

世の中で一番悲しいことは、
うそをつくことです。

こんな言葉です。

この言葉は、よくととのえられている美しい言葉です。
こんな生き方をすれば、きっと美しい人生の曲を奏でることができましょう。

前に書きました宗興老師のことを調べていた時、
『よくわかる妙心寺』という小さな冊子を取り出してみたら、
そこに古い一枚の新聞の切り抜きがはさんでありました。

隠していたへそくりが出てきたような気がして、読んでみると、
福沢諭吉が残した言葉のように、尊い仕事をしていて、
また愛情あふれる、そんな投書でした。

ずいぶん古く、いつのものか、どこの新聞かもわかりません。
「新聞配達はがきエッセーコンテスト」に入選した作品です。
51才の男性の方の作品です。

「山の新聞配達人」

狭くて急な坂道が、複雑に入り組んだ僻地の新聞配達は大変だ。

私たち家族が、そんな山深い小さな村に引っ越してきてから、
早くも5年目になる。

初めて山の雪景色を目の当たりにしたときには、
家族そろって歓喜の叫びをあげたものだった。
しかし、その同じ年に、私は現実の厳しさを知ることになる。

ある朝、新聞を取りに外に出てみると、
昨晩から降り続いた雪が、三十センチ近く積もっていた。

いくらなんでも、この雪では、
まだ新聞は届いていないだろうと思いつつ、
私は長靴に履き替えると、ポストのある庭の角まで行ってみた。

すると、ポストまでの長くて急な坂道に、
点々と足跡が付いているではないか。

ポストにたどり着くまでに、おそらく何度も転んだのだろう。
小さな足跡に交じって、大きな穴がいくつか見えた。

私はポストから新聞を取り出すと、
もの言わぬその大きな数個の穴に向かって、
思わず頭を下げている自分に気が付いた。

(「新聞配達はがきエッセーコンテスト」入選作)

寒い雪の坂道を何度も転びながら、
しかも新聞を濡らさないようにして、ポストまで届けた新聞配達人。
立派な仕事をしています。

そして何度か転んだ穴に、頭をさげている作者。
人としての愛情深さを思います。

こんな生き方から美しい音色が響き渡ってきます。

上手に弾いて、相手に喜んでもらう

楽譜を見て練習し、上手く弾けるようになれば、
その曲を発表する場があります。

発表会であったり演奏会であったりします。
その奏でる曲を聞いた人たちはその音色の美しさに、
心を癒され、幸せな時を持つことができます。

同じように、私たちも相手が幸せになってもらえるような、
そんな生き方をすることが、自分も幸せに生きる道です。
そして、与えたものが、自らの宝になり、
それがまた自分を助ける力になるのです。

最近亡くなられた方の「故人を偲ぶ言葉」を書いてもらい、
葬儀の時にこんな話をしました。少しまとめてみます。

ここに坂田直道(仮名)さんは、
数えで60年の生涯を閉じられました。
この春、桜の花の咲くころになると。満で59才になる予定でした。
思えば、もう一度きれいな桜の花を見ながら、
家族のみなさんとあたたかな語らいを持てたらな、
という思いが募ります。

直道さんは温厚で、穏やかで、優しく朗らかで、
みんなに信用があり根性も持ち合わせていた人でした。

ここ数年は不治の病の中、
残る少ない時間を奥様や家族の人たちと語らい
笑顔の中で、病気と闘ってきました。
そんな直道さんに家族のみなさんがあたたかな言葉を残してくれました。

早いお別れだね。最後まで精いっぱい頑張ったね。
叱られた記憶もないほど優しい父でした。
気さくで私の友人に会っても手をあげて挨拶をしてくれる人でした。
父と過ごした日々、とても楽しかった。

30年間、明るく楽しい生活でした。
わがままな私と寄り添ってくれて、良い子ども達を育ててくれました。
本当にありがとう。
病気になってから2年3ヵ月はきっと苦しかったと思うけれど、
弱音をはかず、頑張ったね。充実した1日1日、
一緒に過ごせて幸せでした。本当にありがとう。

人柄が偲ばれます。
あたたかな想い出を心のポケットに入れ、
あの世にいったら多くの人に話してあげてください。

みな死を受け取る時が来ます。そのとき、
「悔いの残らない人生の曲を弾いてきました。
 いい人生をいかさせていただきました」
そう言えるように、自分という竪琴を、弾きこなし、
自分の幸せと相手の幸せを祈りながら、
美しい尊い生き方をしていきましょう。