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法話

人生の彩り

今月は「人生の彩り」というテーマでお話を致します。
このお話は平成30年4月9日に、女性部の理事会でお話ししたものです。
少し変わったテーマですが、30分ほどのお話なので、
1回にまとめて、お話を進めます。

色は欠かせない

見える世界には色は欠かせないものです。

信号の色も、赤や青、そして黄色があります。
赤は止まれ、青は進め、黄色は待て。そんな意味があります。
もし赤が止まれなのに、その法規を無視して、進んだら、
事故になってしまいます。

信号ばかりでなく、色にはさまざまな意味が込められています。
日々の生活の中で使われている色に、なぜ意味があるのでしょう。
またさまざまな色の組み合わせで、美しさを表し、
見る人に驚きや安らぎを与えてくれます。

神仏(かみほとけ)の姿は肉眼では見えませんが、
その姿を色で表しているとも考えられます。
秋の夕焼けを見ると、とてもきれいで、
1日忙しく働いた疲れや、思うようにならないことごとで、
汚れた心を洗い流してくれる、そんな思いがして、
夕焼けの空に、神仏のほほえみを見るような気がします。

あるいは朝のお勤めに本堂に行く時、
中央アルプスの山々が非常にきれいに見えて、
思わずしばらく足を止め、その荘厳さに、ありがたくなるのです。
それも、おそらく、神仏の姿をそこに見ていると言ってもいいかもしれません。

峰の色と谷の響き

道元禅師が、
峰の色谷の響きもみなながら
わが釈迦牟尼の声と姿と

という歌を作られています。

「みなながら」というのは、そのままの状態をいいます。
ですから、「峰の色も、谷から聞こえて来る音も、そのままに、
お釈迦様の声と姿を現している」となります。

自然の姿から、お釈迦様が説かれている教えを、
どうくみ取っていくのかが問われるわけです。

朝のお勤めに行く時に見た、中央アルプスの山々から、
不動の心を持ちなさい、その山の色を見て、
きれいな汚れのない心を持ちなさい。そんな教えを聴くことができます。

赤い葉の想い出

本山の布教師をしていた時です。
まだ31才くらいで、鹿児島から宮崎のほうへ、
1カ月ほどお寺さんをまわり、お話に行ったことがありました。

鹿児島は昔、廃仏毀釈があって、寺院がつぶされ、
臨済宗のお寺は1カ寺しかありません。

鹿児島にあるそのお寺さんは大慈寺(だいじじ)というお寺で、
そこから宮崎市にあるお寺さんへとまわっていったのです。

大慈寺さんでは夜のお説教で、
次の日には予定が入っていなかったので、そこの和尚さんが
「布教師さん、今日は予定がないから、どこか行きたいところがありますか」
と聞かれたので、「是非、海が見たいです」と言うと、
さっそく海に連れていってくれました。

その海は、底のほうまで澄んでいて、
薄い青色をした立体的な色なのです。
その色をみて、とても幸福感に満たされる思いがしました。

海から帰ってきて、
「ここの海は、きれいな色をしていますね」
と言うと、奥様が
「色といえば、ここはあたたかくて紅葉がないの。
 きれいな真っ赤な紅葉の葉を見たことがないんです」
というのです。

隣に保育園に上がるくらいの娘さんが座っていて、
その話を興味深く聞いていたのです。

このお寺さんに布教に行ったのは春のことで、
秋になって、あの鹿児島の娘さんのことを思い返し、
お寺の裏庭にあったきれいに紅葉した赤い葉や黄色い葉を封筒にいれ、
信州の紅葉した葉です、という手紙を添えて、
娘さんの名前宛で、そのお寺さんに送ったのです。

その手紙の返事がきて、そこには
「人生で初めての手紙に、こんな美しい色の葉を見て、
 娘もとても嬉しそうで、とても感動しました」
と書かれていました。

そんな体験から、色というのは、
人の心を幸せに染める力があるのだということを学びました。

人生という色

人生にも色があるのでしょうか。

こんな詩がありました。
71才の男性の詩です。「秋なすび」という題です。

秋のなすの諺に、「秋なすは嫁に食わすな」があります。
これには二つの意味があって、
ひとつは怠けものの嫁にはおいしい秋なすは食わせるな、です。
もうひとつは、秋なすはおいしいけれど、
大事な嫁が体を冷やすから良くないという理由です。

なすは体を実際に冷やすようです。
後者の方が、人生の色合いは、きれいではないでしょうか。

では詩です。

秋なすび

わずかばかりの畑に
野菜を植えては
食費のたしにしてきた
つつましき母よ
小さな地下足袋を
そろえ板の間に
昼寝をしていた
野良着の母よ

世の中の片隅で
人知れず生きてきた
つつましき母の生涯
秋なすび

(産経新聞 令和7年11月14日付)

素朴でつつましい生き方をしてきた母を、詩にしたのです。
「秋なすび」の題名には、つつましくても幸せであったという、
そんな思いが隠されているのかもしれません。

夏なすは、皮はあつくて身もつまって食べごたえがあるのです。
一方秋なすですが、秋になると朝夕の気温差が大きく、
日差しも比較的穏やかで、そのため、
なすの皮がやわらかくみずみずしく、甘味があるのです。

人生の苦楽で、苦労が絶えなかったけれど、
それゆえに、つつましく生きた母が、秋なすのように
、母なりに甘く豊かな人生であったことを思って、詩にしたと思います。
このお母さんの人生の色は、つつましき色といえるかもしれません。

相手の色に染められる

小学校6年生の女の子が書いた詩です。
「ポカポカ電車」という題です。

ポカポカ電車

寒い日に 電車に乗っていたら
若い人がおばあさんに
「どうぞ」って
席をゆずっていた
みんな優しい笑顔になった
それを見ていたら
私の心もポカポカしてきた

(読売新聞 平成30年3月26日付)

平田俊子先生が、この詩に、
「『どうぞ』はまわりの人たちをあたたかくする魔法の言葉ですね」
とコメントしています。

若い人がお年寄りの女性に「どうぞ」と席をゆずる。
それを見ていたまわりの人が優しい笑顔になったというのです。
それを見ていたこの女の子も、心がポカポカしてきたと詩に書いています。

相手のことを思って席をゆずると、
それを見たまわりの人が優しい笑顔色になり、
それを見た女の子もポカポカ色になったのです。
一人の青年の良い行いが、それを見ていた人たちを笑顔にし、
彼女の心もポカポカにしたのです。

今回の「人生の彩り」というテーマで言えば、
相手のきれいな色に、自分の心も、きれいな色に染められる。そんな詩です。

怒りや憎しみの色

色には美しい色もあれば、きれいでない色もあります。
心がポカポカする色でなく、怒りや憎しみ、不満や欲望、
嫉妬や妬みといった心の思いはどんな色をしているのでしょう。

20年あまり義父を憎んでいるという70代の女性がいました。
嫁ぎ先で義父に言われた心ない言葉に傷ついて、
義父が亡くなって20年になるのに、怒りや憎しみの思いが消えず、
ずっと心を痛めてきたという女性です。

この苦しみは自分自身が自分を苦しめているといえます。
きっと心の色は、あまりきれいではないでしょう。

澄んだ青空を見ると、心がいやされますが、
今にも雨が降りそうな、どす黒い雲を見ると、心が落ち着きません。
憎しみの色とはそんな色をしているかもしれません。
その憎しみの色を、自分が心に描き入れているのです。

昨年12月号の「ことわざ雑考」で、ひとつの禅の言葉を紹介しました。

  風、疎竹(そちく)より来たる。
風過ぎて竹、声を留(とど)めず。

竹林があって、風がスーと通ると、ざわざわと竹の音がします。
しかし、風が過ぎてしまえば、もう竹林に声はなく、とても静かです。
そんな意味です。

これを人生観からとらえると、
怒りや憎しみにあたる言葉を義父からもらった。
その時は心がざわざわして苦しく、憎しみもある。
しかし、その義父の言葉が通り過ぎてしまえば、
その心ない言葉に翻弄されることなく、
過ぎ去ったこととして、心をきたない色で染めない。

いつまでもくよくよしない。
そう禅の言葉は語っているわけです。

簡単には、このような心の持ち方はできないかもしれませんが、
日頃の訓練によって成しえることです。

私たちにとっても、
忘れられない傷ついた言葉や行為があるかもしれません。
でもそれをいつまでも心に留めて、自分自身を苦しめないよう、
さわやかな色で心を染めていくことが大事で、
それが幸せになる方法でもありましょう。

苦しみに負けない色

2017年(平成29年)2月17日、
作家である山本周五郎の没後50年の命日にあたって、
編集手帳(読売)に、周五郎のことが書かれていました。

『樅ノ木は残った』を新聞に連載していて、ある読者が
「私は貧乏書生で新聞を定期購読が出来ません。
 毎朝、新聞社の支局前に張り出されている紙面で立ち読みしています」
という手紙を読み、
「恵まれた境遇にいる読者も大切だけれど、
 僕には彼のような読者のほうが、もっと大事におもえるんだ」
と語ったそうです。

私はブックオフで買い求めた『山本周五郎全集』と
新潮社『長編小説全集』を持っていて、つれづれに読んでいるので、
恵まれた読者かもしれません。

周五郎の座右の銘として持っている言葉が、
スエーデン劇作家ストリントベルの言葉、
「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」
であったようです。深い人生の言葉です。

巡礼といえば、白でしょうか。
四国を巡礼する衣服は白色です。
濁らない清浄な思いで、この世の大切な出来事に礼拝しては、
学びを深めていくと捉えることもできます。

弱さの中に強さを

ここでもう一つ詩を紹介します。
72才の男性が書かれたものです。

仙台市荒浜で

津波の力で細い鉄筋が
ぐにゃぐにゃに曲がり
ミニチュアのドームを
形作っていた

その真ん中に
一輪の月見草

全てが流されたのに
鉄よりも強く
生き延びて
浜風にそよいでいた

今年も咲きますように

(産経新聞 平成24年7月11日付)

月見草は薄いピンク色をしています。
か弱そうですが、とても強いのです。

私たちもそんな強い生きる力を持っています。
お互いの人生の色を尊重し調和させて暮らしていけば、
そこにきれいな人生の絵画が出来上がります。

ところで、読者の皆様の人生の色は、何色でしょう。