みにミニ法話
(297)「みえない世界」
この世は実際に、見える世界で成り立っています。
自然があり、四季の移り変わりも美しい。
人と人との触れ合いもあり、住む家や衣服、人の顔かたち、
みな見える世界です。
しかし一方見えない世界もあります。
今まで過ごしてきた過去の世界は
薄らいで忘れていくこともたくさんあります。
もちろん未来も見えません。
人の思いもそれぞれで、相手が何を思い、何を考えているのか、
それを言葉に出したり、行動に示さなければわかりません。
また人として大切な生き方、たとえば、優しさとか思いやり、
勇気や信頼、それらのものは見えない世界にあります。
見えないから、それを自分のものとして心に染めあげていくことは難しいものです。
さらにもっと大切なものとして、神や仏の存在が挙げられます。
神を信じることができるというのは、見えない世界を信じ、
その世界と交流する力を得るということです。
知らず、日々守られているという感覚は、見えない世界の存在を尊び、
その存在に敬意をいつも持っていなくてはできないことです。
見える世界のみに住み、その世界を唯一のものとし、見えない世界を信じない。
そのように生きている人を、お釈迦様は泥沼の匂いがすると説かれています。
さらには見えない世界の神仏を信じている人は、
清らかな香りが漂っている人だと示されています。
今日一日を振り返り、見えない世界の存在に、今日も無事に過ごせたことを報告し、
それが見えない世界の方々に守られ生かされていることを感謝し祈っている姿は、
尊く、光が放たれている。そんな感じを思い起こせます。
見えない世界におられる神仏のみ心は、
先ほど挙げた、優しさであり思いやりであり、勇気や信頼、さらには愛や慈悲、
そんな思いに満ちていて、そんな思いをみな心に内に秘めています。
それを自分の生きる糧にして、その思いを日々の言葉や行動に出していくと、
さらに見えない世界の存在に助けられていきます。
そんな世界があることを信じ、見える世界で多くの尊い体験を積んでいくのが、
この世に生きる意味かもしれません。
