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みにミニ法話

(300)「神仏の思い」

神仏がいつも、どう思って私たちを見守っているかということは、
とても難しいテーマです。

このテーマの前提は、神仏を信じるところから始まります。
そんな見えないものは信じないという人には、
神仏の思いはいつまでも理解できないことでしょう。

この世にはさまざまな宗派があって、神仏の考え方も違うと思いますが、
仏教的には、神仏から私たちは分かれてきたという考え方があります。
ですから心の奥底に、神仏と同じ力、あるいは輝きがあるわけです。

映画「千と千尋の神隠し」で、木村弓さんが歌っていた
「いつも何度でも」という歌の歌詞の最後には
「海の彼方には もう探さない
 輝くものは いつもここに 私のなかに 見つけたから」
という文句が出てきます。

悲しみや悩みがあって、どうすればいいのか。
その答えは、私の中に輝くものがあって、その思いに気づき、
自らが輝いていけば、やがて悲しみも苦しみも消えていくということです。

その輝きは、どこから来たのでしょう。
それは神仏から分かれてきたがゆえに、
神仏と同じ輝きが私たちの内にあるからです。

ですから肌の色が違っていても、みな共に分かり合える、
そんな力をみな持っているわけです。

神仏の思いを頂いている私たちですが、内にある輝きをさらに増していくと、
神仏の思いが少しわかってきます。神仏の思いの中に、
慈悲と愛の思いがありますが、その思いを自らが体現していくと、
神仏の思いが少し見えてくるのです。

人を思い、困っている人に手を差し伸べている人を見ると、誰しもが感動します。
できるならば、私もそうありたいと思うものです。

震災で困窮している人に、手を差し伸べている人を見ると
尊いものをそこに感じます。

それはその人の心の内に、慈悲や愛の思いを見ているかです。
その慈悲と愛の思いを見たとき、そこに神仏の思いを見、
また神仏そのものを見ていることにもなります。

さらには、自ら慈悲と愛の思いを持って、他の人のために働けば、
私自身の内に神仏の思いが輝いているともいえます。

難しいことですが、神仏のひとつの輝きの中に、慈悲と愛の思いがあることを、
日々の生活の中で、気づき、感じ取っていくと、
やがて神仏の思いを知るようになるでしょう。