みにミニ法話
(302)「ほんとうの幸せ」
幸せに、ほんとうの幸せという考え方があるのか定かではありませんが、
自分が、これがほんとうの幸せと思っていたのが、そうでなかったりする場合もあります。
そこには何らかの砂塵が混じっていることが多いと思うのです。
たとえば、お金がたくさん集まり、生活にこまらなければ幸せに思います。
お金があれば不自由な生活から離れることができるからです。
昨年の暮れの事ですが、
大阪市内のゲームセンターで、クレーン機を景品が取れないように設定し、
客から料金をだまし取ったという詐欺の疑いで、そこの社長ら6人が逮捕された
というニュースがありました。
20代の女性4人に「絶対に取れる。今やめたらもったいない」と、うそをついて
47万円をだましたと新聞には書いてありました。
人をだまして簡単にお金が手に入る。それがほんとうに幸せであるかどうかです。
そこには欲望という砂塵が確かに入っていると思われます。
自分たちの良心を傷つけ、楽しみでゲームに来たお客様をも傷つけています。
このゲームセンターの人びとは偽物の幸せを求めていたといえます。
偽もののお札もたまに出回りますが、
いつかは、ばれてその罪をつぐなわなくてはなりません。
砂塵の入った偽ものの幸せは、必ずその罪をつぐない
自らの人生を不幸にしてしまいます。
ほんとうの幸せとは、足ることを知り、清らかさがあることです。
こうして元気で生きていることがあたりまえのことでなく、
今日も無事に生かさせていただいたと思う。
そのことに、感謝の思いをささげる。感謝の思いは、
そこに足ることを知り、清らかな思いにならなければできないことです。
そしてさらに、自分のことばかりでなく、
家族のために必要な人になったり、困っている人に手を差し伸べる。
してやったという思いでなく、させていただいたという清らかさがそこにあると、
そこにほんとうに幸せの花が咲くのです。
それがどんなに小さな花でも、
その幸せという花はいつまでもきらきら輝いています。
