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みにミニ法話

(305)「花は語る」

ごく一般に思うことは、花は語ることができないということです。
人とは、対話ができないと思っています。

晴れの日でも、雨の日でも、静かに黙って、
与えられた場所で咲いています。
「ああ、花は語ることがないのだ」そう思います。

しかし、花と語ることもできるような気がするのです。
昔から花には神仏が宿ることのできる、
「依り代」になると言われています。

仏前に花を供えますが、その花に仏様が降りてこられると信じられていて、
そのために花を供えると言われています。
池坊の花でも最初は仏前に供えるための花であったと聞きます。

さらには、その花をどなたがお創りになったかを思い起こしてみます。
ただ単に偶然に自然の中に花が現れてきたと思うのが
常識のように受け止められていますが、それを証明した人はいません。

この世にどれほどの種類の花があるかは定かではありませんが、
数えきれないほどの種類の花が四季折々に咲きます。

その花の姿を見て、
おそらく神仏がお創りになったのだと思わずにはいられません。
そうだとしたら、その花の中に神仏の思いが込められていることになります。

先に花に神仏が降りられると言いましたが、
降りられるにはそこに神仏と同じ尊さがなくてはなりません。

このことからも、神仏が花をお創りになり、その中に神仏の思いを入れ、
きっと花の笑顔や可憐さを人びとが見て、
苦しいときには、心を癒してくださいと思い、神仏が花をお創りになったのです。

花はその場に咲いて移動することができません。
そこから、花が語っています。

「今、あなたはその場にいて、大変な思いをしていると思います。
 でもその場を逃げないで、その場で自分のできることを精一杯するのです。
 きっとそこに、あなただけの尊い花を咲かせることができます」

そんな花の声を聞くこともできます。

そして自らの花を咲かせたとき、そこに神仏と同じ力が与えられ、
相手の人に、野に咲く花と同じように、安らぎを与えることができるわけです。

花はいつも語っています。
その花の声を聞いてみませんか。
きっと安らぎと生きる力をいただけると思います。