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みにミニ法話

(309)「魂修行ということ」

魂修行というのは、あまり聞かない言葉です。
人格を磨くとか、人として立派になるとか、
そんな言葉は聞いたことがありますが、そもそも魂とは何でしょう。

私たちは生まれる時に、この肉体に魂が宿り、
その魂が肉体と重なりながら、この世でさまざまな体験をし、
魂そのものを高める。そんな考え方があるわけです。

そして、この肉体が使えなくなると、
この肉体から魂が出て、あの世である、
もともと住んでいた世界に帰るのです。
しかし、この考えを納得して認める人は多くはありません。

この魂というのは心そのものと言ってもいいし、
あるいは禅的には本来の自己とでも言ってもいいかもしれません。

この世では魂と肉体は一体で、
互いに影響し合い、暮らしています。

魂が優れていれば、その姿が顔や態度に現れてきます。
逆に魂が粗暴であれば、肉体の顔には、そんな粗暴な面影が出てきますし、
行いにも、他の人に迷惑をかける、そんな行動にも出てしまいます。

また肉体が健康であれば、魂も元気ですし、
病に侵されれば、魂も病んできて、生きる力を失いかけます。
しかし病の中でも、その肉体の痛みに耐えながら、
支えられている真実を悟れば、魂自身も感謝の念を深め、
さらに、病の場が、魂修行としての場に変わり、
優れた体験として智慧をえることができるのです。

このようなことを信じられない人は、
肉体が滅べば、すべてが無に帰(き)すと考えてしまいます。

この世で悪を犯しても、死んだら終わりだと言う。
しかし、生前犯した悪はどうなるのでしょう。
それでは、あまりにも不公平で、
お釈迦様が説かれた原因結果の法則に当てはまりません。

悪いことをすれば、この世で裁かれなくても、
あの世で魂となって移っていったとき、そこで裁かれ、
その悪のつぐないをしなければならない。
この考え方のほうが、自然であり、また悟り深い考え方であると思います。

そうであれば、肉体に宿った魂を、この世でどう生かし、
さまざまな苦労の中で、それを正しく生きるための智慧に変えていく。

そんな修行を積んでいくことが、この世に生まれてきた、
私たちの使命であり、目的であるような気がいたします。

今一度、肉体と魂の関係を、真摯に考えていく必要があります。