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みにミニ法話

(310)「慈しみ深く」

こんな短歌を見つけました。

逝きし娘(こ)をひと日たりとも忘れたることなし二十七回忌きょう

(読売新聞 平成30年8月27日)

ここの娘(こ)は、字のように、「むすめ」の意味です。

小池光氏の評には
「まだ若かった我が娘を亡くして長い時間がたった。
 一日たりとも思い出さない日はない。
 老いたる母の嘆き、これより深いものはない」とあります。

幼くして娘を亡くし、もうすでに二十七回忌の法要を迎えての一句です。

ごく一般に二十七回忌の法要は塔婆のみで済ませてしまいがちですが、
娘への思いを大切にしてきたことが、
供養をしたいという思いにつながっています。
娘を思う深い慈しみの姿を見て取ることができます。

この悲しみは、他の人が同じような出来事に遭ったとき、
その人の心の内を察して、その人にも慈しみの思いを抱き、
共に悲しんであげることができるでしょう。

この意味でも、慈しみの心は自らの心を深くし、
育てていく力があるような気がします。

もうひとつ、読み人知らずですが、

人のためつくす心がそのままにわが身育てる力なりけり

人のために尽くすというのは、
慈しみの心が深くないとできないことです。
そんな心を培っていくことがそのまま、
自らを育てていることになると歌っています。

道で困っている人がいれば、
自分の用事は後にして、その人のために尽くしてあげる。

自分が事故を起こし、相手が傷ついたならば、
そこを逃げることなく、止まって、
できる限りのことをしてあげる。

日常のことであっても、笑顔を忘れないで、
ほほえみをもって相手と接してあげる。
明るい声をかけてあげる。

うそ偽りをいうのでなく、
相手の気持ちになって言葉をかけてあげる。

道で子どもが道路を渡ろうとするとき、
その子どもの気持ちになって車を止めてあげる。

それぞれに簡単なことですが、
他を思う慈しみの思いがなければできないことです。

その慈しみの思いを大事にしながら、
日々を歩んでいることが、自らを育て、
人格を深めているということを知っていることです。

そう知っていれば、慈しみを持って生きていくことができます。
そう生きて、自らの幸せを手にするのです。