ことわざ雑考(15)
滄海の一粟
今月は「滄海の一粟 ―そうかいのいちぞく―」についてお話しします。
{『ことわざ・名言辞典』(創元社)を参考}
滄とは「青い」という意味で、青い海のひとつの粟(あわ)となります。
意味は「この世における人間は、広々とした青い海原の一粒の粟のようなものだ」です。
一人ひとり大切な命を持っていますが、もっと広い視野で人間を見て行けば、
小さなアリのような存在かもしれません。
ですから、人として謙虚に生きていくという意味をいただけます。
このあわのようという所で思い出すのが、『方丈記』で、
「ゆく河の流れは絶えずして、しかもともに水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、
久しくとどまりたるためになし」という最初の文章です。
ここでの「うたたか」が水の上に浮かぶ泡です。
人間の世界もすべてが入れ替わって、滅び去り消え失せていく。
そして鴨長明は
「朝死ぬ人があるかと思えば、夕方生まれる子がある。
まさによどみにうかぶうたかたそっくりだ。
ああ、私は知らぬ。
こうして生まれたり死んだりする人がどこから来て、
どこへ消えていくのか、を」(神田秀夫訳)
人間生きても百年ほど。生まれては死に、死んでは生まれる。
ほどんどの人は歴史に残ることもなく、また家の二代三代ともなると、
おじい様もおばあ様も覚えていず、忘れ去られていく。
そんな流れる無常の世で、なぜ生きていかなくてはならないのか。
生きるとはどういうことなのかと、問わずにはいられなくなるものです。
私はよく地球での交響曲にたとえます。
地球に生きている人間は一つの楽器として、地球曲を創っていて、
その一つの人間という楽器が欠けても、その地球曲は完成しない。
たとえば、私がカスタネットであっても、曲の中で一度しか使われない。
それでも、なくてはならない音であり、存在であるとうこということ。
だから、生きることは尊いのです。
そしてこの地球曲は、どこかで大いなる存在が聞いていて、
美しい響きを願っています。
だから相手を傷つけるような争いの音(ね)は出してはいけないのです。
