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法話

花の心に学ぶ 1 すべてが学びの種

このお話は、平成27年6月6日、
護国寺の女性部の「水無月の法話会」でお話ししたものです。
6年ほど前のもので、お寺での法話なので、仏様のことが出てきます。
少し手を加えながら、2回にまとめてお話ししていきます。

花の幸せ

5月頃になると、お寺の境内につゆ草の花が咲きます。
この花は強くて、増えるのです。
お寺の境内がつゆ草だらけになってしまうので、少しずつ切っては整理します。

整理するとは言っても、
咲いている花を切り捨てるのは、心が痛みます。
なので、夕方になると開いていた花がつぼむので、
そのとき、「申し訳ないね」といいながら切ります。

ある夕方のことです。少し小雨が降っていて、
つぼんでいるはずのつゆ草が花開いているのです。
これでは切れないと思い、ふと花の思いに心を寄せてみました。
すると、「花も咲くことで幸せを感じているのだなあ」と知ったのです。
さらに、神仏が花にも幸せを感じる力を授けたのだと、素直に思えたのです。

「花の心に学ぶ」という演題は、
ただ単に、花がきれいにほほえんでいる。だから心が癒される。
それだけではありません。
もう少し深くとらえて、花から神仏の思いを読み取る、神仏の姿を見る。
そんな意味でつけた題なのです。

野の花かんのん

護国寺には「野の花かんのん」という、
この寺独自の観音様が立っています。

どこかの教科書に載っているものを写したものではありません。
野の花のほほえみや、やさしさを観音様にしているのですが、
花の中に観音様の姿を思い、その姿を見ているという発想からきています。
花から神仏の心を読み取っているわけです。

この「野の花かんのん」を作ったきっかけは、
私が本山の命を受けて、福島県の10数カ寺のお寺さんにお話に行ったときでした。
あるお寺さんに、5体ほど、ほほえみ豊かな観音様が立っていました。

そのお寺の和尚さんに、
「この観音様、とってもいいお顔をしていますね。誰が造ったんですか」
と聞くと、
「この観音様は、鈴木マリ子さんと妹のるり子さんという、
 まだ二十歳そこそこの女性が造ったんです。
 会津若松の近くに三島町という町があるのですが、
 そこに西隆寺というお寺があって、そこに33体、この姉妹が彫った観音様があって、
 それを見て何とかその姉妹にお願いして、私のお寺にも造ってもらっているのです」

それを聞いて、私のお寺にもと思ったのですが、
福島県と長野県では、ずいぶん離れているので、
その姉妹に造ってもらうのをあきらめました。

それでも、何か別の形で、観音様を造れないかと、そのとき思ったのです。
詳しい話は、この「法愛」の平成22年9月号10月号を読んでいただければわかります。

花から学ぶ仏の姿

この西隆寺の当時住職をしていた安藤太禅(たいぜん)さんが、
33体の観音様の写真集を出していて、一つひとつの観音様に詩を添えています。

実際に、そのお寺に行き、観音様を見せていただき、
和尚様にも勧められ、その写真集を買ってきました。

その観音様の中に「恋慕かんのん」と名づけられた観音様があって、
こんな詩が写真集に載せられていました。太禅さんの作られた詩です。

風の吹きすさぶ荒野をさまよい
冷雨にぬれてたどる疎林(そりん)の道
樹の下に休み
傷だらけの脚をもんで
ひたすらあなたを呼ぶ
これから
どれだけ歩いたなら
あなたにめぐり逢えるのか
此の世にありて麗(うる)わしく
最もやさしいというあなた
ひたすらにさがし続けた幾年
真実この世におわしますのか
南無観世音菩薩
ただ一言声を聴かして下さい
どんな可烈な荊(いばら)の路も
まっしぐらに走りよるものを

この詩から、観音様がどこにいるかを必死で探しています。

今は逢えない。
どこに観音様はいるのか。
本当にいらっしゃるのか。
逢いたい。
観音様に……。
痛切に観音様に巡り逢いたいという思いを、詩にしています。

その次に出てくる詩が「妻子かんのん」で、
そこの詩には、妻が、子が、となりの人が、
変身の観音様であることを書いています。

遠くに観音様を探しにいったけれど、
こんな近くに観音様がいた。そんな詩です。

身近に咲いている野の花のほほえみの中に、観音様がいらっしゃる。
そう感じ取り、私のお寺では、「野の花かんのん」を造ったのです。

大日如来の働き

お釈迦様は悟られたときに、
すべてのものに仏性(ぶっしょう)が宿っていると悟られました。
人にも花にも、仏の心が宿っているというのです。

少し難しくなりますが、密教の教えの中に、
大日如来という仏様がおられます。

奈良の東大寺の大仏様は毘盧遮那如来(びるしゃなにょらい)です。
そこに魔訶をつけて魔訶毘盧遮那如来という仏様がおられます。
魔訶は大きいという意味で、毘盧遮那は太陽の意味で「日」で表します。
「大」と「日」を合わせて、この仏様を表現すると、大日如来になります。

大日如来は、この世では姿を現すことのない、「法」そのものを現す仏様です。
この仏様の働きは、智慧と慈悲で表されています。
この智慧ですべてのもの森羅万象を創り、
慈悲ですべてのものを優しく包んでいるというのです。

この考えから言えることは、お釈迦様が悟られた、
すべてのものに仏性が宿っているというのは、
大日如来が智慧で私たちすべてのものを創ったことに通じていきます。

さらに、慈悲ですべてのものを包み込んでいるのですから、
人や花にその慈悲の思いを見つけ出し、学び取っていくことが大切になるのです。
今回は花に限定していますが、花の中にも、たくさんの学びがあるのです。

出会わせていただく

この世には出会いと別れがあります。

嫌な人と一緒に仕事をしなくてはならない。
愛している人とも、いつかは別れがきます。
その出会いと別れの中で、さまざまなことを学んでいきます。

伊那市では喫茶店法話といって、
伊那にあるウエスト・ヴィレッジいう喫茶店で、
各月おきに、和尚様を講師に迎え、法話会を開いています。

現在コロナ禍で中止をしていますが、
平成26年10月22日の喫茶店法話で、埼玉県にお住まいのある女性が、
わざわざ訪ねてきて、この法話会に参加されました。

どうしてこの法話会を見つけたのか、
なぜこんな遠くまで来られたのかは分かりませんが、
尊いことであると、その当時思ったものです。

その縁で、住所をお聞きし、
「法愛」と、時には私の話のCDを送らせていただくようになりました。

すると、翌年の2月ころ、お葉書をいただいたのです。
必要なところを載せてみます。

最近ほんの些細な事に、
「ああ、幸せ」と感じることができるようになり、とても嬉しく思っています。

「ああ、幸せ」と思った時、おもいきり笑顔になって両手を合わせ、
ありがとうございますと感謝しようと思っています。

この葉書を読んで、
不思議な出会いであったけれど、良かったと思ったものです。

この出会いを、偶然の出会いと思うのでなく、
大いなるみ仏が出会わせてくださったと考えるのです。

この尊い出会いの縁の中に、仏の慈悲の思いをくみ取っていくのです。

花の心に学ぶ 2 花に学ぶ5つのこと

苦労をいとえば花は咲かない

それでは、ただきれいな花というのではなく、
その花の中に仏のどんな智慧が隠されているのか、
どんな慈悲の思いがあるのかを探しながら、花に学んでいきます。

まず、花から学び取れる生き方は、
「苦労をいとえば花は咲かない」です。
この言葉は平成27年5月の月の言葉から取っています。

この月の言葉は、
苦労をいとえば花は咲かない。他のための苦労は美しい花のよう
でした。

高山植物であるコマクサという花があります。
草丈は約5~15cmほど。5月から8月に咲きます。
根の長さは80cmほどあると辞書にはあります。
小さな、か弱そうな花ですが、その根は草丈の8倍ほどあるのです。
この根がなければ、地中から水分や栄養を取ることができないのです。
そして可愛らしい花を咲かすことはできません。

身近にあるタンポポはどうでしょう。
その根の長さは、平均で50cmほど。長いのになると1mもあるようです。

涼しげに咲いている花もしっかり根を張り努力をして、
花咲かせることに一生けん命なのです。
そうして努力を重ねて、やっと美しい花を咲かせるわけです。
美しい花を咲かせようと努力している、と言い換えてもいいかもしれません。

端正な人

お釈迦様が、次のような教えを説いています。

あざむいて吝嗇(けち)で偽る人、
ただ名前とかたちだけでも、
美しい容貌によっても、
「端正な人」とはならない。

(『感興のことば』岩波文庫)

端正とはきちんとしているとか、乱れず、行いや姿が整っている、
という意味です。

きれいに咲く花にたとえられます。
いくら姿形を整え、美しく着飾っても、
その人の生き方が相手をだまし、与えることをせず、偽りを語る、
そんな人は、本当の美しい人ではないというのです。

人を美しくさせるのは、その人の生き方に関わってくるといえます。
ではどのような生きる努力をすれば、ほんとうの美しさが出てくるのでしょう。

宝塚歌劇団 伝説の教え

私自身、宝塚歌劇団の公演を見たことはありませんが、
ときどきテレビや雑誌なので、その美しい姿を拝見したことはあります。
お釈迦様の言葉からいえば、美しい容貌を持った女性ばかりです。

でも、劇団のいたるところに、
「ブスの25箇条」というものが張られているといいます。
ブスではない人たちなのに、なぜ「美人の25箇条」ではないのでしょうか。
花の根の力と、お釈迦様の生き方とを合わせて考えていくと、
なるほど尊い教えだと思えます。

「ブスの25箇条」

① 笑顔がない
② 御礼を言わない
③ おいしいと言わない
④ 目が輝いていない
⑤ 精気がない
⑥ いつも口がへの字の形をしている
⑦ 自信がない
⑧ 希望がない
⑨ 自分がブスであることを知らない
⑩ 声が小さくイジケている
⑪ 自分が最も正しいと信じ込んでいる
⑫ グチをこぼす
⑬ 人をうらむ
⑭ 責任転嫁がうまい
⑮ いつも周囲が悪いと思っている
⑯ 他人にシットする
⑰ 他人につくさない
⑱ 他人を信じない
⑲ 謙虚さがなくゴウマンである
⑳ 人のアドバイスや忠告を受け入れない
㉑ 何でもないことにキズつく
㉒ 悲観的に物事を考える
㉓ 問題意識をもてない
㉔ 存在自体が周囲を暗くする
㉕ 人生において仕事において意欲がない

(宝塚歌劇団)

人は自分の欠点にはあまり気がつかないものです。
そんな自分を見つめるために、この25箇条は、優れたものがあります。

25個の生き方は、みな誰しもが持っているものです。
たとえば、笑顔がない、というところを見て、
「ああ、今日は一度も笑ったことがない」と気づいて、笑顔になる。
そんな努力を日々行い、心の美しい人になっていくわけです。

花の根がしっかり地中に張って栄養を取るように、
私たちも苦労をいとわず、自らの花を咲かすことです。
これが、花から神仏の思いを見抜く、考え方です。

(つづく)