しきたり雑考(74)
同時に同じ
今月は「同時に同じ」についてお話しします。
{『しぐさの民俗学』ミネルヴァ書房 常光徹著 参考}
互いに会話をしているとき、
同時に同じ言葉を言ってしまうことがあります。
そんな時、互いが顔を見合わせて、
「同じ言葉を一緒に、今言ったよね」
と一瞬言葉が途切れるときがあります。
そのとき、「天使が通った」とか「神様が通った」とか
いうところもあるそうです。
同じ言葉を同時に言ってしまったとき、
一方の人が素早く相手の頭の上に手をのせて「知恵もらった!」というと、
言われた人は、なぜだか頭が空っぽになった気分に襲われるともいいます。
この「同時に同じ」という違い失った時空を、
忌むべき危険あるいはケガレとして避ける風習があったのです。
青森県のある地方では
「二人して一緒に物言えば、一人早死にする。
相手を叩けば免(まぬが)れる」
と言われているようで、同時にする行為の緊迫した関係を
叩いたり頭の上に手をのせたりして解消するというのです。
箸と箸で、同時につかみとってはいけないということがあります。
また、食べ物を二人ではさむと、縁起が悪いとか、
箸と箸でつかみ合いをすると、親子の縁が薄くなるといいます。
火葬場の骨拾いのとき、二人で一つの骨を拾うところから
忌み嫌うという考えが出て来たようです。
あるいは、
「物差しを取り合うと、貧乏になる」
「物差しを手から手へと渡すと、仲が悪くなるから、
どこかに置いて取ってもらう」
というのも、一つの物を二人で同時につかむ点で、
箸わたしと共通するところがあるわけです。
次の風習も初めて知りましたが
「火のついたローソクを手渡しするものではない。
一度火を消してから新たに火をつける」
という、これは高知県のある地方で行われている風習のようです。
兵庫県では、箒(ほうき)を決して手渡ししてはいけないといい、
それは箒を通して、その人の知恵が相手に伝わってしまうからだそうです。
箒は必ず置いて渡さなければいけないのです。
通常ではないことをすると、
そこに何か忌み嫌うことが起きると昔の人を思ったのです。
的に敏感な昔の人の俗信を笑うわけにはいきません。