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法話

生きぬいて、舞台を降りる 3 自分を演じる

先月は「この世の舞台の真相」というテーマでお話し致しました。
この世は舞台で、言葉を換えれば、真実の世ではなく、仮の世であるということ。
そして、今日のひとときも、舞台であって、
その舞台でどのように幸せを感じ取っていくかという、そんなお話でした。
続きです。

自分の花を咲かせる

この世での舞台の主役は誰でしょう。

新聞などである舞台の宣伝を見ると、
長期にわたる舞台では、主役の人が2人から3人ほどいて、
交替できる体制を取っていることがあります。

舞台での劇は大変なんだと思うのですが、
この世の舞台では、自分の役を誰も変わってくれることはできません。

私は護国寺というお寺で住職をしていて、今は若い和尚に住職を譲りましたが、
住職という役はいつでも交替することができます。

でも、もし私がガンになって、余命3ヵ月と言われた時、
「この自分と変わってくれ、交替してくれ」
と、誰かにお願いしても、できるものではありません。
余命3ヵ月という役を自分自身で受け取らなくてはなりません。
自分の人生は、自分で責任をもって演じて行かなくてはならないわけです。

「私は貧乏な家に生まれた、もっとお金持ちの家に生まれたい。
 この私の人生を変わってくれ」
といっても誰も変わってくれません。

「私はもっと頭がよく、すぐれた素質を持った人になりたい。でもそうじゃない。
 利口な人よ、この私と変わってくれ」
そう願っても、今の、この自分を生きなくてはならないのです。

スミレの花はヒマワリにはなれません。
スイセンがフクジュソウにはなれません。
でも、スミレの花はスミレで、きれいです。
ヒマワリの花も美しく咲いています。

花はみな自分自身に与えられた役柄を、
ほほえみをもって受け入れているからこそ、美しいと思うのです。

私たちも、自分という花を美しく咲かせる、そんな生き方が尊いのです。
そして、それぞれの個性を持った私たちの花を、天の世界から、どなたかが見ていて、
「みんな頑張って生きている。美しい花が咲き並んでいる」
と、きっと思っているに違いありません。
ですから、自分自身の役を責任をもって演じ、生き抜いていくことが大事なのです。

ほほえみの障害

このお話を作っているとき(平成28年1月)、
ある新聞(毎日新聞 平成28年1月27日)に、
3回の連続で「となりの障害 難聴になって」と題しての記事がありました。

耳が聞こえにくい障害ですが、
この記事を読んで、私の知らないところで、苦労を重ねている人を知り、
「こんな役をいただかなくてはならない人も、いるのだなあ」
と、強く生きぬいている人の尊さを思いました。

厚生労働省の聴覚障害の基準は
「聴覚が両耳で70デシベル以上」とされ、
国内に45万人(2014年度末)いるとされています。

「70デシベル以上」は、
耳元での大声や電話の着信音を聞き分けることが難しいレベルだそうです。

また、日本補聴器工業会が発表した独自推計(平成27年のもの)では、
国内で1430万人が「聞こえづらい」とされているようです。

この聴覚障害は、会話が分からなくても笑顔で黙ってうなずく仕草から、
「ほほえみの障害」と言われることもあるそうです。

難聴を隠さなくていいんだ

この連載の中で、何人かの方の苦労が書かれていましたが、その中に、
東京都に住む48歳の川宮道子(仮名にしておきます)さんのことを少し書いてみます。

川宮さんが3歳のとき、はしかが原因で難聴になったといいます。
聞きづらいと感じたのは幼稚園のころ。
先生から呼ばれていることが分からず、
「返事をしない」とよく言われたそうです。

難聴をはっきり自覚し、周囲に打ち明けたのが小学校2年生のとき。
読み上げる言葉を漢字で書くテストで全く聞き取れず「もう限界だ」と悟ったのです。
家族もようやく、道子さんが難聴であることを知ったのです。

23歳で結婚し、2児の母になりました。
28歳のときに長男のぜんそくの「ヒューヒュー」という声が補聴器をつけても聞こえず、
医師に診てもらったとき、
「こんなにひどくなるまで、なぜ連れてこなかったのですか。
 お母さんなら、この音に気付くでしょう」
と言われ、その何気ない言葉がいくつも胸にささって、辛い思いをしたといいます。

転機を得たのが、40歳のときです。
今まで「難聴のことを言っても仕方がない」と、
耳の聞こえづらいことを隠していたのですが、
手話サークルに入って、自分以外の難聴者に初めて出会い、励まされ、
「難聴を隠さなくていいんだ」と悟ったのです。

その後、難聴者として外資系の会社に就職。社内研修で
「障害者が、職場で理解してもらえるために自分自身から何を伝えていけばいいか」
に学び、難聴を隠さなくなったといいます。

35歳の別の女性も、難聴で苦しみ、
今では胸に「耳が不自由です」というネームプレートのようなバッチをつけているようです。
難聴者であることをオープンにすることで、心が軽くなったといいます。
そして、衣料品販売大手に就職できたのは、この人の笑顔だったそうです。

相手の演じ方から学ぶ

難聴を隠さなくていいと悟り、
強く生きぬいている2人の女性から学ぶべきものがたくさんあります。
相手から学び取り、自分という主役を、後悔のないように演じていくわけです。

まず一つは、「難聴という障害の人も、しっかり生き抜いている」ということです。
みなそれぞれに苦しみや辛いことがあります。それに負けないで、幸せを得ていく。
みな、幸せになるために生まれて来たのですから・・・。

2番目に、「必ず理解者がいる」ということです。
川宮さんが、難聴を隠さなくていいと悟ったのは、
手話サークルで同じ難聴者に会い、励まされたことです。
辛く自分を演じきれないときにも、必ず理解者がいて、支えてくれるということです。
励ましてくれるということです。その励ましを、素直に受け取っていくことです。

3番目に「笑顔」です。
35歳の女性が会社に受け入れてもらえたのが、笑顔でした。
不思議です。笑顔は世界中の誰にでも通じていきます。
その理由は、「みんな神仏の心をいただいているから通じ合うことができる」。
そう私は思います。

そして4番目に、支えられたら、今度は自分が支える側に立つということです。
宮川さんが、「自分自身から何を伝えていけばいいか、について学ぶ」と言っています。
学び取りながら、難聴で苦しんでいる人の支えになっていくのでしょう。

言葉で言い尽くせない感謝の念

この「となりの障害」の記事が載っていたそのページに、
次のような投書が掲載されていました。

障害ある子を持つ人の「恩返し」という題で、
新聞を編集する人が、あえて載せたのかもしれません。
69歳の男性の方の投書です。

「恩返し」

障害ある息子を30年以上、
日常の食事や入浴など愛情をもって介護し、苦楽を共にしてきた。

10年ほど前に本人の希望や将来を考え、
息子は自立に向けてグループホームに入ることを不安と期待のなかで決意した。

年に数度、我が家に遊びに来て、家族の手料理や一家だんらんを楽しむ。
彼の元気な姿を見てしみじみ思うのは、
特別支援学校の先生や卒業後の福祉作業所の職員、
さらにホームのスタッフの皆さんの多くの方々の支えと、
言葉で言い尽くせない感謝の念だ。
思い巡らせると涙がこぼれてくる。

そこで、多くの人から受けた思いやりあふれる幾多の支援に報いるために、
今度は私たち家族が息子と同じ弱者の人たちに少しでも心温かな支援をしようと話し合った。

当たり前かもしれないが相手の立場に立って、やっていることがある。
街なかで車椅子の人が段差なので走行に困っていれば、手助けをする。
視覚障害の方が駅で迷っていればホームまで安全に案内する。
さらには障害者の絵画などの催し物には積極的に参加し
「すごいね、頑張ったね」とねぎらいの言葉をかけている。

ささやかな支援を始めて数年がたつが、数十回はお手伝いをしてきたと思う。
私も妻も高齢になったが今は元気なので、息子が受けた恩には遠く及ばないものの、
今年もぬくもりのある共生社会につながるよう、
微力ではあるが支援、奉仕を続けていこうと思っている。

こんな投書です。

この中に、
「スタッフの人に支えられ、言葉には言い尽くせない感謝の念。
 思い巡らすと涙がこぼれてくる」
とあります。

きっと辛い日々を耐えてきたのでしょう。
障害ある息子さんも大変でしょうし、支える両親も大変だったでしょう。
その辛さを乗り越えて、今度は恩返しの日々を送る。
頭の下がる、そんな生き方です。
自らの役を、しっかり演じきっている。そんな思いがします。

まず、自分が幸せになる

自分を演じるために必要なことは、まず、自分が幸せになることです。
この幸せは強欲の意味での幸せではありません。他を幸せにするための、幸せです。

川宮さんも、35歳の女性も、
自分が難聴であることを隠さないことで心が軽くなったといいます、
それは幸せになる、貴重な一歩です。

この自分が幸せになるというのは、
「自分が幸せでなければ、相手を幸せにすることはできないから」です。

豊かな財をもっていなければ、貧しい人にその財を分け与えることはできません。
断水で水がなければ、水を豊富に持っている人が、水で困っている人に、
その水を分けてあげることができます。

知識を豊富に持っている先生が、学生にその知識を教えてあげることができます。
やさしさ深い人が、席をゆずることができます。

同じように、幸せである人が、その幸せを相手に分けてあげることができるわけです。

そして、相手をよく理解する

次に自分を演じることで必要なことが、相手を理解してあげることです。
投書を書かれた男性が涙をこぼすほど感謝したというのは、
この障害ある息子さんのことをスタッフの人が、よく理解しているからです。

昔、この「法愛」で書いたことがあるような気がしますが、
森繁久彌さんの舞台でのことです。

96歳で亡くなられて、もう14年ほどになります。
確か「屋根の上のヴァイオリン弾き」だったと思います。
この舞台劇をしているとき、最前列に座っていた少女がずっと下を向いていたというのです。

森繁さんはきっと寝ているのだろうと思って、
その子の前にきたとき、強く舞台の床を踏み鳴らしたそうです。でも起きません。
その子は劇が終わるまで、ずっと下を向いていたのです。

舞台が終わって、その子が顔をあげました。
そのとき分かったのは、その少女は目が見えなかったということです。
そのことを知った森繁さんは、自分が傲慢であったことを深く反省し、
「少女に悪いことをした」と、泣いたのです。
それ以来、謙虚に演技をしたといいます。

相手のことをよく知って、幸せを分けてあげることが、
この世での人生の演技にも必要なことです。

舞台を降りる

やがて人生というこの世の舞台の役を終えたら、舞台を降りなくてはなりません。
死を受けとるということです。

この世の舞台を降りたら、無になって消えてしまうのではありません。
次元の違ったあの世の世界へ帰るのです。

亡くなって、三途の河を渡れば、もうこの世には帰ってくることはできません。
その三途の河の先には、奪衣婆(だつえば)というおばあさんと、
懸衣翁(けんえおう)というおじいさんがいます。

なぜ、「じいじ」と「ばあば」かと考えると、
おそらく若いものより体験が深く、そのため善悪の判断ができるからだと思います。
老いるというのは、その意味で尊いことなのです。

そこで、死者は衣服を取られ、
その衣服を衣領樹(えりょうじゅ)という木の枝にかけられて、
善と悪とどちらが重いかを計られるのです。

その様子を閻魔(えんま)様が見られ、
相手の幸せのために自らを演じて善を積んだ人は、天の世界に導いてくださり、
悪を重ねた人は闇の世界にいって反省させられるのです。

人生の舞台を降りるというのは死を意味します。
この世の肉体という衣装を脱ぎ捨て、本来の自分に戻ります。
そして人生という舞台で演技したことを反省するのです。

自分に与えられた課題、
たとえば難聴をどう受け止め、その苦を乗り越えて、何を学び取ったのか。
命終わるまで、独りよがりにならずに、よく生きたか。
支えられ、生かされている自分に気づき、感謝して生きてきたか。
まわりの人に自分の幸せを分け与えてきた人生だったか。
さまざまに、反省の材料があります。

出来るならば生きている内に自らを顧み反省し、自分も相手も幸せになることです。
そのために、どのように自分の役作りをすればいいか再考します。