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法話

花のにつ 1 花の香り

このお話は、平成28年5月26日に「法泉会」というお話の会でしたものです。
131回目のお話の会でした。

少し変わった演題ですが、
7年前のものなので、少し書き換えながら、進めていきます。

梅の花の香り

花にはさまざまな香りがあります。
その中で、春に咲く梅の花の香りはとてもいい匂いがします。

お寺の庭の隅の方に、梅の古木がありました。
春になると、その花の香りがあたりに匂って、春の香りを楽しむことができました。
今は枯れてしまって、そこから若い枝が出て、花を咲かせていますが、
以前のような香りはしません。

古木になれば、以前のような花の匂いを漂わせるのを楽しみにしています。
梅の花の香りといえば、こんな短歌があります。
菅原道真が作ったという歌です。

東風吹かば にほいをおこせよ梅の花  主なしとて春な忘れそ

東風というのは、春の風のことです。
「春の風が吹いたら、梅の花よ、香り高い花を咲かせくれ。
 主がいなくても春を忘れないでほしい」
そんな意味になります。

「主(私)のことも忘れないでほしい」という意味も、
この歌の中にはあるように思えます。

道真は低い身分でしたが、学問に優れていたので、ずいぶん出世したのです。
それを妬んだ藤原時平が、彼を疎み、あらぬ罪を着せたのです。
そのため、京都から九州の大宰府に左遷されます。
辛く悲しく、京都を離れる時に歌ったのがこの短歌です。

その時、なんと梅が一緒に行きたいと強く思い、
大宰府まで鳥が飛ぶように、道真について行ったというのです。
これは「飛梅伝説」として残っています。
今でも大宰府の天満宮に、この梅の木があるそうです。
私はまだ見たことがありませんが、樹齢が千年もあるようです。

菅原道真のこと

話は少しそれますが、
菅原道真のことを『太平記』に出ていたので、
そこのところを少しまとめて書いてみます。

大宰府に着いた道真は、無実の罪に涙を流し、
寝てもさめても、着ている衣が濡れるまで泣いた。
そして延喜3年2月25日、左遷の恨みを沈めることなく亡くなった。

その夏の末こと、延暦寺第十三座主、法性という僧正が修行中、
持仏堂の戸をたたくものがあった。
怪しく思い戸をあけるとそこに菅原道真がいた。

僧正は「この2月に亡くなったと聞いて、追善の供養をしていたのに、
お変りなく、お元気そうで、夢でも見ているようです」というと、
道真は「私は朝廷の臣となって、世を平和にするために、
しばらく下界に下ったのに、無実の罪に落されました。この恨みは消えないのです。
肉体はなくなっても、心霊は天にあるのです。
私を裏切ったものたちすべてを生かしてはおかない。
そのとき、帝から延暦寺に命じて
『陀羅尼(だらに)の秘法』の霊験を求められるでしょう。
そのお経は、私の力を削ぎ取ってしまいます。
決していかないよう、願いたいのです」

僧正は「1度お断りしても、何度も要請されれば、
お断わりはできないでしょう」そう聞くと
道真は、前にあった柘榴を板戸に投げつけた。
その柘榴の種が燃え上がり、板戸に燃えついた。
僧正は「しゃ水の印」を結び、猛火が消えた。
(その燃えた板戸は現在の延暦寺に残っていると書いている)

道真はその後、席を立ち、天に上り、雷が鳴り響き、
連日にわたり雨が降り、洪水は家々を押し流した。

(日本古典文学全集 太平記② 小学館)

こんな状況が書かれています。

善い香りと悪臭

香りで思い出すのが、「香」(こう)です。
寺院では儀式などで、偉いお坊さんを迎えるときには、
床の間に香りのよい線香をたてお迎えします。
ひとつの礼節ですが、よい香りは、相手を大切にする、そんな意味もあります。

よい香りをかぐと、心が休まるのは不思議です。
私の修行時代、本堂や禅堂という荘厳な佇まいの中で、静かに坐り、
香の香りをいただくと、その香りが静かに心の中にまで入ってきて、
何か向こうの世界が感じられるようになります。
それは生まれる前の本(もと)いた世界と思われる、清浄な世界です。

逆に悪臭は、人の心をいら立たせる、
そんな悪なる力があるような気がします。

いつだったか、資源ゴミをまとめる役をしたことがありました。
常会のみなさんが、アルミ缶や瓶、新聞や雑誌を、指定の場所に持ってくるのです。

その中に、ペットボトルがありました。
少し目を離していると、ペットボトルを収納する大きな箱の中に、
黒ずんだペットボトルがまぎれ込んでいました。
1個でなく10数個もあります。誰かが黙って捨てていったのです。

それを見つけて、選り分けていると、
ペットボトルの中に入っている、腐った匂いが鼻について、
吐きそうになったのです。

もう1人の役の人が、水で中を洗い、
その人も悪臭で気持ちが悪くなったと言っていました。

この悪臭には捨てていった人の、生き方の悪臭が入り込んでいるのです。
どうも、香りにはそのものの考えや、生き方が混ざり込んでいるようです。
言葉を換えれば、この場合、悪い考え方が付着しているともいえます。

花の香りの中には、その花の美しさが忍ばせてあり、
悪なる人の生き方には、そんな悪なる香りが付着し漂っているのです。

禅語の月と花

禅語につぎのような詩があります。

月を掬(きく)すれば月 手にあり
花を弄(ろう)すれば香(か) 衣(え)に満つ

少し難しくなりますが、
「水を掬(きく)すれば」というのは
水を両手ですくうという意味があります。

ですから、「水を両手ですくうと、その両手の中の水に月が映る」となります。
「花を弄(ろう)すれば」は、
「弄」の字は「もてあそぶ」という意味があるので、
花を手に取って楽しむとなり、
「花を手に取り楽しめば、その花の香りが自分の服にしみ込む」となります。

この詩を禅的に解釈すれば、さまざまとらえ方があります。
月はよく仏にたとえられるのです。その月なる仏が自らの心にあって、
それを仏心というのですが、その仏の心をすくい取り、
自らの内にあることに気づいて、その心をよく使いこなしなさい。
そんな意味がひとつあります。

今回の「花の香(か)に満つ」という演題は、
この詩の下の句から取っています。

このお話の進め方から、この詩を解釈すると、
花にはさまざまな種類の花があるように、
さまざまな人としての生き方の花がある、と考えてみるわけです。

たとえば、花を徳ある人とすれば、
そんな人と触れ合うと、その徳が私にも移り、徳ある人となっていける。
そんなとらえ方です。

香りがしみ込む

亡くなった方に、その顔のまわりにたくさんの花をそえ、飾ってあげます。
花には浄土の香りがあるので、その香りで
「あなたが安らぎで満ちるように」という意味や、
「そんな花の香りのするあたたかな世界へ逝ってくださいね」
という意味があるのです。
送る人の優しい思いが込められているわけです。

またこんな香りもあります。
老いの香りとでもいうのでしょうか。
核家族では、味わえない人生の香りともいえます。

私は母と一緒に住んでいましたが、
母が年を重ねていくと、新聞を机の上に放り投げるのです。
あるいは廊下をスリッパで、ぱたぱたと大きな音を立てて歩くようにもなりました。
食事の時間が長くなり、少しの段差にもつまずき、堅いものは食べられず、
大きなものを小さくしないと食べられなくなりました。

ある友人が、
「内の母は、戸をちゃんとしめないで、開けて行ってしまう。
 どうしてちゃんとしめないのか」と。
そこで私が
「お母さんはもう80過ぎているんでしょう。
 もう力がなくてちゃんとしめられないんだよ。
 戸を静かにきっちりとしめるのは、ほんとうはとても難しいんだ」
そういうと、
「分かった。目からうろこが落ちたようだ」と言いました。
目からうろこが落ちるとは、「そうだったのか、知らなかった。なるほど」という意味です。

若かったころは、老いは感じられませんが、
還暦を過ぎるようになると、しだいに身体の歪みが出始め、
若かった私も、しだいに年を重ねた母と毎日暮らすなかで、
老いとはどういうものかを、言葉では説明できないような、
そんな「老いのしぐさ」を感じ取ってゆけました。
花の香りが自然に衣服につくという、そんな感じです。

孟母三遷(もうぼさんせん)の教え

孟母三遷の教えは有名なので、どなたも知っていると思います。
孟母の孟は孟子のことです。孟子は儒学者であり、
孔子の思想を継承し、日本にも大きな影響を及ぼした人です。

孟子が小さい頃、墓場の近くに住んでいました。
孟子はそのとき葬式の真似ばかりしていたのです。
それを見た母は、これではいけないと思い、
市場(いちば)に引っ越しをしました。
孟子はそこでは商人の真似ばかりします。 母はまたも引っ越しをします。そこは学校の近くでした。
孟子はそこで礼儀作法を真似るようになったのです。

それ以後、母は引っ越しをしませんでした。

こんなお話です。

作り話のような気もしますが、
住む場所で、子どもがその場に影響されるというお話です。

「田舎のネズミと町のネズミ」というイソップ寓話がありました。
田舎のネズミは畑のダイコンや麦を食べ、
町のネズミはパンやチーズ、肉を食べるのです。

でも、町のネズミのほうが危険で、
それを知った田舎のネズミは田舎へ帰っていきます。
住む場所で、ずいぶん違った生活をすることがわかります。

以前、用事があって東京へ行ったことがありました。
新宿でネオンが灯る夕暮れ時、
ランドセルを背負った2人の女の子とすれ違ったことがあったのです。
田舎の子ども達とはずいぶん違うものだと思ったことがありました。

知らずに、住む場所に影響を受けていると思われます。
いい形での「花の香に満つ」すなわち、素直な子に育ってほしいと思ったものです。

体験によってそめられていく

ここで、ひとつの投書を読み、
自分の人生が静かにそめられていく様子を学んでみます。
「孫の遺言」という題で、77才の女性の方のものです。

孫の遺言

今年、52回目の結婚記念日を迎えた。

思えば随分ちぐはぐな夫婦で、
お互い我慢強かったんだね、と今さらながらあきれ、笑いあった。

先年の金婚式では、子や孫が食事会を開いてくれた。

その席で孫息子からは、お祝いカードと、
イベントで作ったらしい自分の写真と将来の夢をプリントしたマグカップをもらった。

カードには
「おじいちゃんおばあちゃん 金婚式おめでとう! いつまでも仲良くね」
とあった。カップには
「東武東上線の運転手になりたい!」
と書かれていた。

それがまさか、彼の「遺言」になろうとは・・・・。

12歳で旅立ってから6カ月が過ぎた。
「バスケットボール命」の、元気な人気ものだった。

今でも雑踏のなかで、不意に悲しみに襲われることがある。
あれだけ大勢、人がいるのにどうして孫はいないのか、と。
恋も知らず、夢も果たせず逝ってしまった孫を思うと、切なくふびんでならない。

逆縁というのは実にむごい。
悲しみが胸底に鉛のようなおもりとなって沈み、溶けることはないだろう。
人生の最終章にこんなページがあろうとは、思いもしなかった。

でもN君、安心して。君の「遺言」はきっと守るから。
おじいちゃんおばあちゃんは、いつまでも仲良くするから。
「指切りげんまん!」

(毎日新聞 平成28年5月1日付)

こんな投書です。

孫が先に12歳で逝ってしまった。
「逆縁というのは実にむごい」と書いています。
悲しい現実を受け入れなくてはならない体験です。
でも孫の「遺言」を守ろうとしているところは、負けない強さも感じます。

人生というさまざまな体験を通し、
自分の生き方が善にも悪にも、そめられていきます。

できるならば、すべての体験を、
花のような香りに満ちた出来事にそめてしまう。
そんな生き方を念じます。

(つづく)