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法話

よき縁の旅 1 何をよき縁とするのか

今月から「よき縁の旅」という題で、3回ほどお話をしたいと思います。
このお話は平成28年7月21日に「法泉会」という法話の会でお話ししたものです。
「法泉会」では、132回目の話になります。ちなみに、現在は171回目にはいっています。

三つの縁の意味

縁というと、「縁もゆかりもない」とか、
「親子の縁をきる」など、人と人との結びつきのような意味がひとつあります。

二つ目は「縁があったらまた会おう」とか「これをご縁によろしく」
といったように、巡り合わせのような意味に使ったりもします。

もうひとつ、仏教的な意味で使う場合もあります。
原因があって、何らかの条件、縁があって、結果がでる。
そんな意味もあるわけです。

種があって、それを撒(ま)き、
水をやったり肥料を与えるそんな縁があって、その結果収穫を迎える、
となります。

今回の「よき縁の旅」というテーマは、
この縁を、人と人との結びつき、巡り合わせ、
そして幸せを作っていく条件としての縁として考えていきます。

たとえば「生」と「死」についてはどうでしょう。
生まれるという原因があって、死という結果があります。
生まれて死ぬまでの期間、人と人との結びつきや巡りあわせがあり、
どう生きたかという縁が合わさって、やがて来る死という結果が現れてきます。

葬儀のときに縁ある人たちが集まり、「いい人であった」とみな涙してくれる。
そんなお別れがあれば、その人はきっといい人生を送ったと思います。
逆に、誰もお参りに来ないし、一滴の涙もない。
亡くなったその人の人生は、あまり充実したものではなかったかもしれません。

尊い縁の力

ここでひとつの投書を紹介して学んでみます。

「妹がのこした縁」という題で、この投書を読んで
今回の「よき縁の旅」というお話を作ろうかと思ったのです。
63歳の女性の投書です。

妹がのこした縁

私の妹は白血病になり、
骨髄移植も終わりホッとしたのもつかの間、54歳で逝ってしまいました。
妹の死を受け入れられずボーッとしている間に、
お葬式がどんどん進んでいきました。

係の女性は「おはようございます。本日の日程は・・・」で始まり、
「お疲れ様でした。明日の日程の確認を・・・」と流れ作業のごとく、
テキパキと仕事をこなしていきました。

初七日の会食も終わり、皆が帰り支度を始めた時、
あの係の女性がスッと私の元へ。

「あのー、虎口さんって学(まなび)が丘の?」
「ええ。何年か前に住んでいたことがあります」と答えると、
「やっぱり・・・」と言って、
「わあー」と大きな声で泣き崩れてしまいました。

皆あっけにとられていると
「私が小学生の時、母は仕事で帰りが遅く」と静かに話し始めた。
「ドアの前でしゃがんで待っていると、いつも虎口さんが
 『おばちゃんのとこで待っとき』と、お茶とお菓子を出して下さって。
 本当にお世話になったのに、すみません」と再び泣き崩れました。

今までと180度違う姿にホッとして妹の優しさを嬉しく思い、
人と人との繋がりも感じ、いろいろ考えさせられたお葬式でした。

(朝日新聞 平成28年6月)

妹の葬儀に携わった係の女性が、小学生の頃、亡くなった妹に親切にされ、
そのよき縁があって、していただいたことが有り難くて涙したのです。

白血病で54歳という人生を終えたわけですが、
昔、親切にしてあげた係の女性に涙してもらったことは、得難い人生の宝物だと思います。

よき縁を逃がす

42歳で亡くなった女性がいました。
亡くなると「故人を偲ぶ言葉」という紙を渡し、
どういう人であったかを書いてもらいます。
もう40年以上も続いています。

その女性の「故人を偲ぶ言葉」を書いていただいた文章を見ると、
少ししか書いてありません。
葬儀の終わりにお話をするのですが、だいたい原稿用紙3枚程度のお話で、
こんなに短い文章では話ができないと、迷ってしまったのです。

ここで考えるのです。
昨年の10月の月の言葉は、
「考えて、考えて、また考える。そこに必ず道が開ける」でした。
この考えることも縁を作る作業だと思います。

そういえば、戒名に「花」という字をつけた。
花といえば星野富弘さんだ。確か自分の図書の中に一冊あったはず。
そう思って自前の図書館を探しまわったのですが、ありません。
つい先日、ある本屋さんに、星野さんの本があって、
「買おうか、どうしよう。いや今度でいいや」と思い、買わなかったのです。
あのとき買っておけばよかったと後悔したのです。
本を買うというよき縁を逃してしまったわけです。

いえばぐちになるから

また考えます。
そうだ相田みつおさんの本ならある
。『にんげんだもの』(文化出版局)を探して、
その中の詩を使い、こんな話を作ったのです。

この詩には花がでてきませんが、花の思いが感じられる詩です。

ここに池上美鈴(仮名)さんは、42年の生涯を閉じられました。
少し早い旅立ちですが、野に咲く花にもそれぞれの命の定めがあるように、
美鈴さんは美鈴さんなりの人生の定めを生きて、花咲く浄土へと帰っていかれます。

明るい思いやりのある美鈴さん。優しい性格だった美鈴さん。
家にいる時にはぬいぐるみと子どものように遊び、
よくふざけては家族のみんなを笑わせてくれ、楽しい日々を与えてくれた美鈴さん。
その面影は、忘れることはありません。

戒名に花の字をつけましたが、
花は一心に咲いているから、きれいで美しいのだと思います。
相田みつおさんがこんな詩を書いています。

だまっているだけ

だれだって
あるんだ よ
ひとにはいえない
くるしみが

だれにだって
あるんだ よ
ひとにはいえない
かなしみ が

ただ だまっている
だけなんだ よ
いえば ぐちに
なるから

こんな詩です。

花が一心に咲いてきれいなのですが、花は咲く場所を選べず。
寒さや暑さ、そして強い雨にも耐えなくてはなりません。
花もおそらく愚痴をこぼしたいときがあるかもしれません。
しかし、それを言えば花の美しさが失しなわれてしまう。
だから、ただだまって、そこに咲いている。そう思えます。

美鈴さんも、42年の人生の中で、
苦しみの時があったでしょう。悲しみの時もあったでしょう。
それを言えば愚痴になり、家族の和も崩れてしまう。

今思い返せば、よい想い出ばかりが残っています。
美鈴さんと共に過ごした楽しい日々を思い起こしていくと、
美鈴さんの花がさらに美しくきれいに見えてきます。

美鈴さんを大切にする思いが、美鈴さんの成仏を助け、
その供養の思いが、私たちの心もきれいにしてくれます。
そして素直な思いで手を合わせることができるようになります。

42年の人生でしたが、
「あなたはあなたなりに、この世でしっかり生きましたね。ありがとう。立派でしたよ」
と、美鈴さんの人生をたたえ、感謝の思いとみ仏様のご加護を念じながら、
お別れの拝礼を致します。

こんなお話です。

人を送る時には、その人に縁のあった多くの方が集まって、
美鈴さんが「苦しいときでも笑顔で生きてきましたね」と、
その人生をたたえてあげる。
その多くの人の思いが、美鈴さんの成仏の力になるのです。

私自身も、人を送るという縁をいただき、さまざまな学びができる。
そんな仕事をありがたく思っています。

仏に会えない縁

昨年12月の「法愛」で、法華経を詩的にまとめた130回目のお話は、
現在でも仏に会いたいと強く念じ、心を正して生きていると、
仏に出会えるというお話でした。安藤智美さんが、
現代の若者が仏と出会える気づきを持った瞬間を、絵に描いてくれました。

お釈迦様が亡くなられて2500年以上になりますが、
当時、お釈迦様の教えを聞く縁がなくて涙したアシタ仙人の話があります。
少しまとめてお話します。

ルンビニーの花園で生まれたゴータマ(お釈迦様の名前)は、
お城に帰り多くの人びとの祝福を受けました。

そのころアシタという神通力をもった仙人が、
香山(こうざん)という地にいて、坐禅瞑想をしていました。
すると30人の神々の群れが天で歓喜し、手を打ち、衣をひるがえして、
帝釈天をほめたたえているのを見ました。

このような情景をアシタ仙人は、今まで見たことがありませんでした。
そこで神々の群れに、このように問いかけたのです。

「なぜそのように、あなたがたは歓喜し踊っているのですか」
「仏陀が、すべての人の幸せのために、この人間界に生まれたのです。
 そして、素晴らしい教えを説かれるのです」

それを聞いたアシタ仙人は、坐禅瞑想をといて虚空(こくう)をすべり、
カピラの城に降り立ちました。

父なる王のシュッドーダナに会い、王子であるゴータマを抱き取りました。
そして、涙をこぼすのです。それを見た王はアシタ仙人に、
「何か不吉なことがあるのですか」
と問うと、アシタ仙人は、
「不吉な相があると思って涙しているのではありません。

 この方は、この上ない無上の人です。
 この王子は、ゆくゆく正覚(しょうがく)のいただきにのぼるでしょう。
 その人はこのうえない清らかな世界を見、人びとに利益を与え、
 法輪(ほうりん)としての教えを説かれるでしょう。  その教えによって、多くの人びとが救われ、
 この地に仏国土という幸せのみ国が建つでしょう。

 しかし、私は余命いくばくもありません。
 比べることができない力のある人の教えを、聞くことができないのです。
 それゆえに、私は悲嘆し、涙しているのです」

こんな話が残っています。

このアシタ仙人の涙は、その後数千年経ても、
教えを聞くことの尊さを教えてきました。

どう生きればよいか、それは大きな問題です。
その問題を解く縁を、教えが導いてくれるわけです。

教えはさまざまなところにあって、
みなそれに気づかずに暮らしている人が多いのです。
できるならば、自分で問題意識を持ち、どう生きれば幸せになれるのか。
どのように暮らしていけば、必要な人として生きられるのか。
どのように日々を過ごしていけば、笑顔の毎日を送ることができるのか。
そう自らに問い尋ねていくことが大切です。

あたたかな支え合い

学ぼうと思えば、どこにでも教えを見つけることができます。
次の「糸」という詩で学んでみます。63歳の男性の詩です。

糸は 細い一本の
糸であるだけではさびしい
繋がって広がって
ひと尋の布になって
はじめて自分を知る 一本の縦糸は 無数の横糸と出会い 一本の横糸は また 無数の縦糸と交差する 布がやわらかいのは 布があたたかいのは 無数の糸どうしの 馴染み合い

(産経新聞 平成26年3月29日付)

こんな詩です。

この詩の意味を自分の生き方に重ね合わせ、
どんな生き方をすれば幸せになれるのかを考えるわけです。

この詩のように、人と人とのふれ合いは、
たくさんの人との出会い、結びつき、あるいは尊い縁で成り立っています。
その触れ合いが、やわらかく、あたたかなものであるためには、
自分本位な生き方でなく、相手をあたたかな思いで包んであげる。
そんな生き方が自分の幸せにも通じていく。
そう読み取り、学んでいくのです。

(つづく)