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みにミニ法話

(216)「見えない世界」

見えない世界と言えば、心の世界であり、
霊的世界、あの世の世界、神や仏の世界もそうです。

心の世界のことは認めるとしても、
後(あと)の霊的世界とか、あの世の世界、
神や仏の世界は信じることはできないといった人は
結構いらっしゃるかもしれません。

この世は見える世界で、この身体も服も靴も、車も家もお金も土地も、
そして自然の景色も見えるものです。

そんな世界に生まれ育って、生活してきたのですから、
見える世界が確かな世界で、見えない世界は信じられないというのは、
無理のない話かも知れません。

でも、仏教ではよくいいます。
この世は仮の世であると。仮の世というのは、本当の世界でなく、
亡くなって旅立っていく世界が本当の世界であると言っています。

これはなかなか信じがたいことですが、
この考えをよく心に染めていくことが大事になります。

本当の世界は神や仏がお住みになっている世界で、心あたたかな世界です。
そんな世界から私たちはこの世に生まれてきました。

そして、この世は仮の世ではあるのですが、
何十年かこの世で心の修行をし、多くの体験を経て、
あの世に還っていくわけです。

このことを今生きている、この「見える世界」で知ることは、
禅的には一つの悟りであり、知れば知るほど、
この世の見える世界を大切に生きなくてはならないことが分かってくるのです。

死んだらお終(しま)いではない。
お終いではなく、この世でいかに生きたかによって、
還(かえ)る場所が決められる。

このことをよく知っておくべきです。
人は生きてきたように死ぬ、というのは、あの世の世界まで含めた考え方でしょう。

「何事にも無駄がない」という教えがありますが、
この世が修行の場で、多くの学びのためにあるからいえることなのです。

この世を生きていくためには、さまざまな難問や苦労もあるかもしれませんが、
生きてもたった100年。あの世に還れば、100年の生涯など、夢のごとしです。
どうぞ見えない世界を信じ、後悔しない生き方を心がけましょう。