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みにミニ法話

(284)「高貴な精神」

精神は心で置き換えられます。
あるいは心の働きであり、気力でもあり、
また、物事の根本的な意義ともいえます。

その精神の上に高貴という字をつけます。
高いという字に、貴いという字です。
価値があり貴重であるとう意味です。

私たちは、みなこの精神、あるいは心を持っています。
それをどう使うかによって、高貴であるのか、
あるいは逆に卑しい精神になるかが決まってきます。

仏教的には、4つの誓願あります。
誓願というのは、そうありたいと誓い願うことですが、
この4つの精神、心のありかたがとても尊く、
貴重な価値があるものだといわれています。

1番目は、
たくさんの人がこの世に生きているのだけれど、
困っている人や悲しんでいる人、苦しんでいる人、
あるいは高貴な精神を望んでいる人の手助けをし、幸せに導いてあげる願いです。

2番目は、
自分の心の内に、数えきれないほどの、煩悩があるのだけれど、
その煩悩に惑わされることなく、清らかな心でいたいという願いです。

3番目に、
お釈迦様の説かれた教えは数えきれないほど、たくさんあるけれども、
日々たんたんと怠ることなく学び続け、その教えに沿って生きていけることを願うのです。

4番目に、
悟りの道は険しく、その悟りの山はエベレストよりも高く、
この上なく遠いけれど、その悟りの峰に到りたいと願うことです。

これらの精神を両手にいただいて生きていくところに、
高貴な精神が養われていくわけです。

この誓願は、お経になっていて、
多くの宗派の僧侶のみなさんが読み、この精神を大事にしています。

一般の方でも、この精神を自分のものとして生きていく、そんな心構えが尊く、
この4つの道を歩むことが、高貴な精神を生きていることになります。

まずは、困っている人を助け、
そのために内なる煩悩に惑わされず、どう生きていくかの教えを学び、
神仏のみ心に到ることを願い、心を養っていく。
ここに、高貴な精神が培われていきます。